さる2024年9月2日午前、マルタ共和国国家メシヤで1800双祝福家庭の飯山和子さんが聖和されました。享年75歳でした。3年前から肝臓がんを患われ、手術を受けられ成功、その後今年春、がん転移の発見を受けて、闘病生活をされておられました
飯山和子さんは、1949年5月2日、愛知県半田市に誕生。県立高校卒業後、会社勤めをされている時、世界平和統一家庭連合(当時統一教会)に導かれ、一年後に教会活動に専念されるようになりました。特筆すべきは、水俣病の地元、熊本県で開拓伝道され、会員4人を導き熊本教会を設立。1975年、飯山善弘さんと1800双祝福結婚を受けられ、ご主人の諸活動を支えられ、学生グループや青年グループの信仰・生活などの指導に尽くされました。ご主人との間に一男3女を恵まれました。
●天寶帰歓式
2024年9月7日(土)午後6時から、世田谷区のみどり会館で、渋谷家庭教会の渡邊一喜大教会長の主礼、仲程朝秀副協会長の司会による「天寶帰歓式」が執り行われました。
式は飯山和子さんの略歴と映像の紹介、43双の井上恭子さんの報告祈祷の後、渡邊大教会長の「帰歓の辞」が行われました。
その中で、渡邊大教会長は、人の死についての教会の基本的な教えを語られた上で、和子さんが聖和される3日前に、和子さんを見舞われたことを明かされました。その際、和子さんとご家族のために祈祷されると、和子さんは「ありがとうございました」と語り、手を差し伸べられました。大教会長はその手を取り「お元気になってください」と声を掛けると、和子さんは明るい笑顔で「ありがとう」と言われ、ひと際力強く大教会長の手を握られ、「温かい手ですね」と和子さんが声を返されたそうです。
この一コマの出会いについて大教会長は、旧約聖書のイザヤ書の聖句、「見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ」を引用。手にはその人の人生のすべてが刻まれています。和子さんの掌(てのひら)も同様です。そして、私たち一人一人のさまざまな歩みは天の父母様のたなごころに刻み込まれているのです。「私が和子さんの掌の奥に、天の父母様が私を記憶してくださり、私を励ましてくださっているのだと感じました」と語られました。
「証し」には1800双で、和子さんの友人である渡部すみ子さんが立たれた。渡部さんは和子さんのことをご主人に尽くされて人と語り、「主人を5年前に亡くしていますが、和子さんが善弘さんに尽くす姿をみて、私もあの方のように夫に尽くせばよかった」と振り返っていました。
さらに今年春、小山田秀生先生の指導により35人の信仰仲間の清平ツアーが実施されました。和子さんも参加。同伴した渡部さんの心配事はツアー中、和子さん健康。しかし、「病気を患っていると皆さんには一言も言わず、元気に振舞っておられました」と明かされ、ツアー最終日、和子さんはツアーのリーダーであったので、私の肩を揉んであげるというではありませんか。病苦と闘っている和子さんに健康な私の肩を揉ませることなどできません。それを見ていた小山田先生は、「和子さんの思うようにさせてあげなさい」と言われたので、和子さんに肩を預けました。「私は肩がほぐれると同時に、涙をこらえるしかありませんでした」と語り、「和子さんは私の尊敬する友人です。大好きな人です」と「証し」を締めくくられました。
献花と主礼の祈祷の後、「遺族代表挨拶」として、飯山善弘さんが立たれ、3年前からの闘病の経緯を紹介しつつ、「妻、和子の人生は、ただただ私と家族に尽くした人生でした。私も子供たちも感謝以外ありません。ここ数カ月は、妻は思い残すことがないようにすべてをやりきった歩みであったと思います。最後、今後の私の仕事のためと言って、妻が呼びかけてくれて、家族が私に背広をプレゼントしてくれました。背広を購入するのを見届けるように妻は聖和したのでした。妻は最後まで私に尽くしてくれました」と語ると、参列者は涙を誘われていました。
この日の参列者は100人。数回に分けて記念撮影を行い、「帰歓式」を終了しました。
●天寶聖和式
前日の「天寶帰歓式」に続き、みどり会館で、2024年9月8日(日)午前11時から「天寶聖和式」が行われました。主礼は元老牧会者会の小山田秀生会長、司会は昨日同様、仲程朝秀さん。
式は飯山和子さんの略歴と映像の紹介、友人の大野眞典さんの報告祈祷の後、小山田会長の「聖和の辞」が行われました。小山田会長は、人には「胎中」「地上界」「霊界」の三つの世界を生きるのです、と話され、私たちに人生のありようを説かれました。そして飯山家との40年もの親しい関係から、飯山夫婦の隅々まで承知されているため、薩摩隼人の善弘さんの長所も短所も指摘、和子さんについても青春時代から人生のありようを考え、入信以後は天の父母様のために献身的な歩みをしてこられ、夫と子どもたちにも尽くされてきました、と話されました。
さらに、残った善弘さんに「和子さんがいなくなっても、君には三つの仕事が残っている。それは、①神氏族メシヤとして地域復帰 ②中華圏の復帰 ③マルタ国家メシヤとして世界的宗教圏の復帰である、と述べられました。「今日、蕩減復帰の時代から、天一国時代、完成時代に入ったので、心して歩んで行きたい」と締めくくられました。
「送辞」には長年の友人であった鈴木徳子さんと娘さんの飯山円理の二人が、飯山和子を偲んで、思いを語られました。
鈴木さんは、和子さんのこれまでの仕事を継承することになり、和子さんの如くできるわけがないとして固辞していたが、和子さんの「皆さんと心を一つにすることが大切だ」という秘訣を教わり、意を喫して引き受けたということでした。今では、「お任せくださいという心境に立っています。すべてお姉さんのお陰です」述べられました。
円理さんは、数日前に書かれた「ママへの手紙」を披露。「お母さんの愛は、お父さんにも、私たちにも伝わっていますよ。ただただ感謝です。私も一時病気になった時、私は、闘うお母さんが快癒に向かうのなら、私はどんな苦労をもしますと祈っていました。お母さんは私のために同様の祈りをしておられ、お母さんが逝かれることになりました。お母さんによって私が助かったのだと思うと、感謝しかありません」と証しされました。
最後に、遺族代表として立たれた飯山善弘さんは、「妻は信仰を確固とした経験があって、それは伊勢湾台風が愛知県を襲った時、小学生でした。学友たちを大勢亡くしたのを目の当たりにした時、人の死とはどのようなものか真剣に考えるようになった。その答えを教会の教えに見出したと言っていました」と語られました。結びとして「妻は母親の如く私に尽くしてくれた。子供や孫にもその如く母として尽くしてくれた。感謝しかありません」と述べられました。
この日、参列者は150人で、皆さんの祈りの中、斎場を後にされ、永遠の世界に旅立たれました。
(文責・和田賢一)
(写真:石川 仁)