<帰歓式の報告>
2024年9月11日に病気のため聖和されました777双、スリナム国家メシア植田剛男兄の帰歓式が9月16日午後6時より、登美夫人、子供さん、お孫さんをはじめ、親族、777双、国家メシア、スリナム宣教師、武蔵野家庭教会食口等80人ほどが集う中、杉並家庭教会において行われました。祭壇中央には兄のにこやかな笑顔の遺影と共に棺が、左右には田中富広家庭連合会長をはじめ親族、南北米福地開発協会、777双家庭会等の供花が飾られていました。
式は、武蔵野家庭教会の鴨志田隆氏が司会を、第一リージョン巡回師で777家庭会会長の中村惣一郎氏が主礼を努めて下さいました。
開式、黙祷に続き、個人の略歴紹介が成されました。1944年3月18日高知市に誕生。先祖は山内一豊の家臣で、静岡県掛川市から高知に移ってきたとのこと。小学1年の時父親が亡くなり、母も生活のため仕事で忙しく、一時期養護施設で生活。小学校3年からは叔母の家での生活と、苦労の多い少・青年期を過ごされましたが、お母様の強い願いもあり北九州大学に進学。大学在学中に伝道され、卒業後、献身の道を歩まれました。1970年に登美夫人と祝福を受け、1973年に夫人が渡米し、米国で宣教活動をしておられた関係もあって1975年に渡米、76年ワシントン大会後に帰国され、その後は事業部で活動。1995年に夫人の故郷新潟に還故郷。96年スリナムの国家メシアを拝命し、97年から99年までスリナムで活動。2014年に東京に転居。5年ほど前から歩行中転倒することが増え、2020年1月1日教会での祈祷を終えて自転車で帰宅途中転倒、歩行困難となって外出もままならない所、今年8月に帯状疱疹で入院、退院後は言葉も少なく、食欲もなくなり、9月11日肺炎を併発して聖和されました。享年80歳でした。夫人との間に3人の娘さんがおられます。
略歴紹介の後、兄を偲ぶ懐かしい映像が上映され、映像に時には笑いに包まれる一時もありました。
その後、聖歌39番を全員で讃美し、報告祈祷は、777双の大西邦弘氏がして下さいました。
続いて、天聖経の第七編「地上生活と霊界」の中の第三章「永世のための地上生活」の中から地上生活の重要性のみ言が訓読されました。主礼による帰歓の辞では、家庭連合の初期の頃に献身の道を歩み、また宣教が始まったばかりのアメリカでの苦労の多かった歩み、更にはスリナムでの国家メシアとしての歩み等は、まさに文先生の「国を超え民族を超えて人々にいのちを与え」続けられた誇りある歩みであり、植田剛男兄の生涯であります。兄の天上への旅立ちを敬意をもって心から送ると共に、我々も地上で責任を果たして行きましょう、との言葉がありました。
続いての証しでは、スリナム宣教師松江邦子さんが、ラインに送られてきたスリナム宣教師の植田兄への感謝の言葉と共に、1975年の三国宣教師により導かれた国会議員や元大統領の関係者からのメッセージ、ボイスメールが紹介され、祝福伝道においては、「全宣教師に勝利させてあげたい」との熱い思いを持って宣教師達を励まし、現地の人たちからも慕われた誠実で真摯、慈愛に満ちた笑顔の植田兄をあかしされました。
その後、聖歌4番の讃美、参席者による献花、聖歌42番の讃美、主礼による祝祷と続き、最後は遺族を代表し夫人による参席者への感謝の言葉と共に、生前の様子が紹介されました。5年前から歩行が困難になり、医者からは「パーキンソン症候群」と言われていたこと、住まいもようやく念願叶って今年7月3階から1階に移ることが出来たけれど、帯状疱疹を発症し、9日間の入院で更に気力が萎え、食欲もなくなり、9月11日肺炎により聖和されたことが証しされました。言葉少ない夫であったが、亡くなるまでの4年間は、夫の生の声を聞くことが出来た貴重な期間であったとの言葉をもって、帰歓式を終えました。その後参列者による拝顔等が成されました。
<聖和式の報告>
2024年9月17日午前11時15分より植田剛男兄の聖和式が行われました。遺族・親族と共に、彼と縁のあった777双、国家メシア、スリナム宣教師、武蔵野家庭教会の食口等60数名が参席し聖和式は始まりました。
司会は昨日同様武蔵野家庭教会の鴨志田隆氏、主礼は武蔵野家庭教会の李昌模教会長が務めて下さいました。
略歴紹介、映像上映、聖和讃美の後、報告祈祷は、9月2日に植田兄を見舞い、1975年・76年米国で共に活動した大滝順治氏が、生前の植田兄を偲びながら心情あふれる祈りをして下さいました。
続くみ言訓読は、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の「創造的三段階」が訓読され、主礼(武蔵野家庭教会 李昌模教会長)による聖和の辞へと進みました。聖和の辞では、腹中・地上・死後の世界(霊界)の三段階の人生を紹介されながら、聖和式の意義を語られ、植田兄は天の命令に従い、アメリカ、スリナム、レダへと出かけ歩まれた姿は、まさに真の息子の姿であり、神様を中心とした人生そのものゆえ、永遠の道への門を開き、真のお父様が迎えて下さる栄光の道であります。そのような植田兄ゆえ、心から精誠を込めて天上へお送りしましょう。との言葉がありました。
その後主礼による祈祷の後、故人のお孫さんで小学生の橋本誠太郎君による送辞がありました。おじいさんとの懐かしい思い出を語りながら、残された子供・孫・家族親族を見守って下さいとのお願いの言葉がありました。
続く弔電紹介では、家庭連合田中富広会長からの感謝とねぎらいの言葉が紹介され、スリナム国家メシアとして共に歩まれた韓国の国家メシア文ユンホ氏から、絶対信仰、絶対愛、絶対服従、更にはスリナムの祝福勝利のために一片丹心で歩まれた植田兄への敬意と共に天への安らかの入場を祈願された手紙が紹介されました。
その後、聖歌賛美、参席者による献花、聖和讃美の後、夫人による御礼の挨拶があり、聖和式を終えて出殿の儀式となりました。兄の安らかな天への旅立ちを願いご家族・ご親族・参列者によるお別れのお花入れ(出殿の儀式)が行われ、午後1時には火葬場に向けて出発しました。
帰歓式、聖和式とも国家メシア、武蔵野家庭教会の方々が尽力して下さり、神霊に満たされた儀式となりました。
(文責:後藤誠一 写真:石川仁)
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