10月15日に病気のため聖和されました飯野絢子姉の帰歓式が、10月22日午後6時より横浜市緑区長津田の山水閣で、小山田秀生元老牧会者会会長を主礼に、渋谷家庭教会の中程副教会長の司会の下、施主飯野貞夫さん、ご遺族、食口・兄弟姉妹約100名余が集い行われました。
飯野絢子姉は1938年1月に新潟で誕生され、1965年27歳の時東京で伝道され、26期の特別修練会を経て献身。その後仙台、鹿児島、本部青年部等で活動。777双の祝福の時は2番目に飯野貞夫さんとマッチングを受けられました。1971年病気になり心配された真のお父様は韓国に来るように言われ、2ヶ月間韓国で療養。1972年巡回師、1973年家庭出発、その後アメリカでも活動されました。1996年サウジアラビアの国家メシアを拝命され、1999年からはレダ開発に携わり、2008年から4年あまりご夫妻で現地で活動されました。本年9月末黄疸を発症し入院、治療を続けていましたが、2024年10月15日聖和されました。享年86歳でした。
続く、映像上映は「ありがとう」の歌をバックに、在りし日の懐かしい姉の姿を偲ぶ一時を持ちました。
報告祈祷は、信仰の祖母に当たる井上恭子さんが、「真の父母様に愛された絢子さん、御父母様への忠誠心の深い絢子さん」と祈られました。
み言訓読は、天聖経の第七編第二章第二節「霊人の生活」からなされ、帰歓の辞を小山田秀生氏が担当されました。「絢子姉は品の良い姉妹で御父母様から特別に愛された。病気にかかるやお父様から韓国に来るように言われ、お父様が心配して下さった。そのため病気が治るやこの命は御父母様から与えられた命ゆえ、汚してはならないと御旨のために一直線に頑張ってこられた」等の話がありました。
送辞は、絢子姉の信仰の子女の青木直子さんの送辞をご主人の青木祐之助さんが代読されました。
直子さんは9月初めに脳梗塞で入院し、現在リハビリ中のため、暫く絢子お姉さんと連絡が取れないでいたら、絢子お姉さんが聖和されたと聞き、信じられない気持ちと驚きで一杯。もう一度話したかった、尊敬してやまないお姉さん、真心を尽くして真のお父様に侍られたお姉さん、沢山の思い出をありがとう。」と。
続く、証しの太田郁恵さんからは、「病気治療で絢子姉と韓国の同じ部屋で一緒に寝ていたのにお父様は絢子!絢子!と言って、自分の方には目もくれられず、初めて愛の減少感を感じた思い出、お父様が日本を愛するようになったのは太田郁恵さんの歌がきっかけになっているのに郁恵さん知らないのと絢子姉からいわれこと。」等の証しに会場は笑いに包まれました。
その後、南米パラグアイ・レダの責任を持つ岩澤春比古代表からのメッセージが代読されました。
「飯野絢子姉は、弟妹への面倒見も良く、現地の人からも感謝されています」等のメッセージがありました。
その後、光の子園の先生方による「がんばります」の歌が披露され、参席者による献花へと進みました。
献花の後、清平の徹夜祈祷会で歌われている「私は今祈祷します」を参加者全員で韓国語で唱和し、主礼による祈祷が成されました。その後黙祷を捧げました。 施主飯野貞夫さんによる遺族代表の挨拶では、UPFの大塚議長による手紙が披露され、参席者への感謝の言葉を持って式を終えました。その後記念撮影、拝顔がなされ、有志による祈祷の時間を持ちました。
(文責:後藤誠一 写真:石川仁)
0 件のコメント:
コメントを投稿