2024年9月10日火曜日

1800双祝福家庭マルタ国家メシヤ 飯山和子姉 天寶帰歓式と天寶聖和式の報告

 さる2024年9月2日午前、マルタ共和国国家メシヤで1800双祝福家庭の飯山和子さんが聖和されました。享年75歳でした。3年前から肝臓がんを患われ、手術を受けられ成功、その後今年春、がん転移の発見を受けて、闘病生活をされておられました
 飯山和子さんは、1949年5月2日、愛知県半田市に誕生。県立高校卒業後、会社勤めをされている時、世界平和統一家庭連合(当時統一教会)に導かれ、一年後に教会活動に専念されるようになりました。特筆すべきは、水俣病の地元、熊本県で開拓伝道され、会員4人を導き熊本教会を設立。1975年、飯山善弘さんと1800双祝福結婚を受けられ、ご主人の諸活動を支えられ、学生グループや青年グループの信仰・生活などの指導に尽くされました。ご主人との間に一男3女を恵まれました。

●天寶帰歓式
 2024年9月7日(土)午後6時から、世田谷区のみどり会館で、渋谷家庭教会の渡邊一喜大教会長の主礼、仲程朝秀副協会長の司会による「天寶帰歓式」が執り行われました。

 式は飯山和子さんの略歴と映像の紹介、43双の井上恭子さんの報告祈祷の後、渡邊大教会長の「帰歓の辞」が行われました。
 その中で、渡邊大教会長は、人の死についての教会の基本的な教えを語られた上で、和子さんが聖和される3日前に、和子さんを見舞われたことを明かされました。その際、和子さんとご家族のために祈祷されると、和子さんは「ありがとうございました」と語り、手を差し伸べられました。大教会長はその手を取り「お元気になってください」と声を掛けると、和子さんは明るい笑顔で「ありがとう」と言われ、ひと際力強く大教会長の手を握られ、「温かい手ですね」と和子さんが声を返されたそうです。
 この一コマの出会いについて大教会長は、旧約聖書のイザヤ書の聖句、「見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ」を引用。手にはその人の人生のすべてが刻まれています。和子さんの掌(てのひら)も同様です。そして、私たち一人一人のさまざまな歩みは天の父母様のたなごころに刻み込まれているのです。「私が和子さんの掌の奥に、天の父母様が私を記憶してくださり、私を励ましてくださっているのだと感じました」と語られました。

 「証し」には1800双で、和子さんの友人である渡部すみ子さんが立たれた。渡部さんは和子さんのことをご主人に尽くされて人と語り、「主人を5年前に亡くしていますが、和子さんが善弘さんに尽くす姿をみて、私もあの方のように夫に尽くせばよかった」と振り返っていました。
 さらに今年春、小山田秀生先生の指導により35人の信仰仲間の清平ツアーが実施されました。和子さんも参加。同伴した渡部さんの心配事はツアー中、和子さん健康。しかし、「病気を患っていると皆さんには一言も言わず、元気に振舞っておられました」と明かされ、ツアー最終日、和子さんはツアーのリーダーであったので、私の肩を揉んであげるというではありませんか。病苦と闘っている和子さんに健康な私の肩を揉ませることなどできません。それを見ていた小山田先生は、「和子さんの思うようにさせてあげなさい」と言われたので、和子さんに肩を預けました。「私は肩がほぐれると同時に、涙をこらえるしかありませんでした」と語り、「和子さんは私の尊敬する友人です。大好きな人です」と「証し」を締めくくられました。
 献花と主礼の祈祷の後、「遺族代表挨拶」として、飯山善弘さんが立たれ、3年前からの闘病の経緯を紹介しつつ、「妻、和子の人生は、ただただ私と家族に尽くした人生でした。私も子供たちも感謝以外ありません。ここ数カ月は、妻は思い残すことがないようにすべてをやりきった歩みであったと思います。最後、今後の私の仕事のためと言って、妻が呼びかけてくれて、家族が私に背広をプレゼントしてくれました。背広を購入するのを見届けるように妻は聖和したのでした。妻は最後まで私に尽くしてくれました」と語ると、参列者は涙を誘われていました。
 この日の参列者は100人。数回に分けて記念撮影を行い、「帰歓式」を終了しました。





●天寶聖和式
 前日の「天寶帰歓式」に続き、みどり会館で、2024年9月8日(日)午前11時から「天寶聖和式」が行われました。主礼は元老牧会者会の小山田秀生会長、司会は昨日同様、仲程朝秀さん。
 式は飯山和子さんの略歴と映像の紹介、友人の大野眞典さんの報告祈祷の後、小山田会長の「聖和の辞」が行われました。小山田会長は、人には「胎中」「地上界」「霊界」の三つの世界を生きるのです、と話され、私たちに人生のありようを説かれました。そして飯山家との40年もの親しい関係から、飯山夫婦の隅々まで承知されているため、薩摩隼人の善弘さんの長所も短所も指摘、和子さんについても青春時代から人生のありようを考え、入信以後は天の父母様のために献身的な歩みをしてこられ、夫と子どもたちにも尽くされてきました、と話されました。
 さらに、残った善弘さんに「和子さんがいなくなっても、君には三つの仕事が残っている。それは、①神氏族メシヤとして地域復帰 ②中華圏の復帰 ③マルタ国家メシヤとして世界的宗教圏の復帰である、と述べられました。「今日、蕩減復帰の時代から、天一国時代、完成時代に入ったので、心して歩んで行きたい」と締めくくられました。

「送辞」には長年の友人であった鈴木徳子さんと娘さんの飯山円理の二人が、飯山和子を偲んで、思いを語られました。
 鈴木さんは、和子さんのこれまでの仕事を継承することになり、和子さんの如くできるわけがないとして固辞していたが、和子さんの「皆さんと心を一つにすることが大切だ」という秘訣を教わり、意を喫して引き受けたということでした。今では、「お任せくださいという心境に立っています。すべてお姉さんのお陰です」述べられました。

 円理さんは、数日前に書かれた「ママへの手紙」を披露。「お母さんの愛は、お父さんにも、私たちにも伝わっていますよ。ただただ感謝です。私も一時病気になった時、私は、闘うお母さんが快癒に向かうのなら、私はどんな苦労をもしますと祈っていました。お母さんは私のために同様の祈りをしておられ、お母さんが逝かれることになりました。お母さんによって私が助かったのだと思うと、感謝しかありません」と証しされました。
 最後に、遺族代表として立たれた飯山善弘さんは、「妻は信仰を確固とした経験があって、それは伊勢湾台風が愛知県を襲った時、小学生でした。学友たちを大勢亡くしたのを目の当たりにした時、人の死とはどのようなものか真剣に考えるようになった。その答えを教会の教えに見出したと言っていました」と語られました。結びとして「妻は母親の如く私に尽くしてくれた。子供や孫にもその如く母として尽くしてくれた。感謝しかありません」と述べられました。
 この日、参列者は150人で、皆さんの祈りの中、斎場を後にされ、永遠の世界に旅立たれました。
(文責・和田賢一)



(写真:石川 仁)




2024年8月29日木曜日

関西支部の集会報告

例年になく残暑の厳しい日々が続いております。

昨年の7月の集会後、約1年ぶりに8月25日関西支部の集会を開催致しました。

参加者:中田理事長、藤生青年局長
中野茂和夫妻、坂口松三郎夫妻、表夫妻、庄本夫妻、伊藤夫妻
山崎茂章家庭3名、井上貴裕医師、源田優一、東野正義の18名

 まず宋本部長一行のレダ訪問の報告、真のお母様とジャルジンでのレダメンバーとの朝食会の証。現地の活動メンバーの証などの映像を視聴しました。
 続いて大阪よりレダ行かれ、活躍中の山崎茂章さんのレダよりの帰国報告があり、その後中田理事長のメッセージがありました。
 今回は、25年間に渡って活動してまいりました私達一世と、これから活躍が期待されるミドル、二世の青年達も共に集会に参加してくださいました。今後皆で力を合わせレダ摂理を継続して行ける事に希望を持てる集会でした。
 今後は山崎夫人が事務局長として、連絡や企画提案等を担当して頂くことになりました。






2024年8月26日   関西支部   東野正義

2024年8月20日火曜日

1800双 フランス国家メシヤ 小嶋健一兄 一周年追慕礼拝の報告

聖恩感謝申し上げます!
8月18日に1800双フランス国家メシヤ小嶋健一兄一周年追慕礼拝を希苑家庭教会に於にて・主礼:中前  圭司教会長。司会:岡 弘康総務部長が担当され親族及び国家メシヤ心情のゆかりのある方々が集いました
式は岡総務部長の司会で進行されて、高橋南北米北日本総支部長の報告祈祷で、1996清平40修での出会いからともにレダ開拓まで精誠を尽くして来られた、心情的祈祷が捧げられました。
中田理事長により・オリンポ40修・レダ開拓の様子の映像を映しながの証に一同感動し・ご長男は、絶えずメガネを外して涙を吹いていました!

大滝氏地球のみどりを守る会理事により、3・11で荒れ果てた東北大槌町での植樹に、駆けつけて来られた、小嶋夫妻との奉仕活動の証。小嶋君政(ニ男)さん 2015年8月中旬~9月 第15回青年奉仕隊に参加した証をされました!
当時の奉仕隊はレダに滞在が長くはなかったですが、非常に印象深く、動物との出会いや、全ての活動が忘れられない…ご飯🍚が美味しかった等とまた行きたいと証しされました。

主礼:中前教会長のみ言を語られる中に・先輩家庭の皆様当時50代から25年間パラグアイ.レダ開拓に精誠を尽くされた事を伝統にして・愛の完成をして行きましよう! と心情溢れる説教と祝祷をいただきました。

〈小嶋夫人ご挨拶〉
暑い中 一周年追慕に来ていただき、ありがとうございます。
家庭を持った頃からみ旨でお互いすれ違っていましたが!本当に夫婦の心情復帰できたのは・健一さんが病院に入院して、暫くはコロナで面会ができずリモート映像で交流してました!解放され面会できるようになり…聖和するまでの賞味3ヶ月位に期間尽くしていくなかで・もう分かるか混濁状態の中で…私と祝福を受けてよかったのか?と聞きましたが、返事がなかった!
しかし教会の姉妹から、集会の時に小嶋さんは、妙子さんと生涯一緒で良かったと証てましたよ・と聞き感謝しました! 




エジプト国家メシヤ 1800双田宮りは子姉帰歓式、聖和式報告

 2024年8月10日午前1時47分に病気のため聖和されました武蔵野家庭教会所属の田宮りは子姉の帰歓式、聖和式、尾瀬での原殿式の報告をさせていただきます。

帰歓式は、8月18日(日)午後6時から、杉並家庭教会において行われました。
祭壇には、りは子姉の遺影・遺体を中心に、田中富広家庭連合会長をはじめ、多数の供花が左右に飾られていました。参加者は、ご遺族をはじめ、国家メシア、一心教会、武蔵野家庭教会、1800双関係者約100人ほどが姉との別れのため集って下さいました。司会は、武蔵野家庭教会の鴨志田部長が担当されました。

りは子姉の略歴は、1937年11月12日現高崎市に誕生し、高卒後上京して働いていた1968年早稲田の学生であった松本邦俊さんに導かれ、修練会に参加、即献身の道を歩まれました。金沢、新潟、札幌等で伝道活動後、事業に関わられました。1977年74双の祝福で、田宮隆實さんと結ばれ、4年間のアメリカでの活動、帰国後はご主人が一心病院に関わることとなり、りは子姉も一心病院との関わりの中で、物心両面でご主人を支え歩んでこられました。アメリカ時代長男(克洋さん)に恵まれています。
1996年エジプトの国家メシアを拝命し、活躍してこられました。数年前、三世代同居のため豊島区の一心教会から武蔵野市の武蔵野教会に移られ、息子さん、お孫さんに囲まれた充実の日々を送っておられましたが、昨年脳梗塞を発症し、闘病中の2024年8月10日聖和されました。享年86才でした。
報告祈祷は、1800双の大越喜美江さんが、担当して下さいました。
み言訓読は「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の「創造的三段階」が訓読され、主礼(武蔵野家庭教会 李昌模教会長)による帰歓の辞へと進みました。
李教会長は、「武蔵野教会に来られて間がないので、食口との触れあいは少なかったが、為に生きた人生、息子さんお孫さんと共に過ごす事が出来た人生は、素晴らしく、まさに天国に行く人生でした」と祝されながら、息子さんとご主人を突然指名され、証をするように指示されました。

まず、霊の親の松本邦俊さんから、伝道した当時の様子、その後献身してからのやりとりの中で、難しく厳しい環境圏のなかでも「楽しいです」「感謝しています」といつも前向きな返事に逆に自分が反省させられることが多く、「感謝と喜び」を教えてくれた りは子さんであったと感謝の証がありました。
続いて突然指名されて証の場に立った夫の隆實さんからは、「祝福時、39才の女性を誰が面倒見るのだろうと思っていたが、気がついたら自分が、りは子さんの相対者になっていた」「おとなしそうな外見とは違って、行動力があり、自分が間違っていても謝らない強い女性」等々の話と共に、「彼女によって愛の訓練を受けることが出来た」と感謝の言葉がありました。

息子の克洋さんからは、「最初母の和食料理が好きではなかったが、母は料理が上手だったこと、信仰には体力が重要であることを教えられた」等の言葉がありました。その後、参列者による献花がなされ、主礼による祈祷、黙祷に続き、ご主人による遺族の挨拶がありました。
外見から、また第三者からは想像も出来ない強いりは子姉の姿をご家族の証の中から垣間見、参列者からは笑いの絶えない帰歓式となりました。その後全体写真、拝顔、李教会長を中心に姉のための祈祷会がなされました。


翌日(19日)の聖和式は、午前10時から同じく杉並家庭教会においてなされました。関係者70名ほどが集う中、式は進められました。
司会は鴨志田部長が、主礼は、李昌模武蔵野教会長が昨日同様担当して下さいました。
報告祈祷は、武蔵野家庭教会の小森女性部長が、担当して下さいました。
その後、初期の頃共に歩んだ大滝順治さんが自身の証を交えつつ、遠方のため参席できなかった今井昇氏の証文を紹介されました。今井氏は、50年前、北海道から沖縄まで共に歩んだ時のことを思い出しながら、見た目に似合わず根性があり、ゆっくりではあるがトウトウと話す りは子姉の姿を懐かしんでおられました。
続いて、昨日と同じみ言が訓読され、李昌模教会長による聖和の辞となりました。
「メシアに出会った我々は幸せな人生を歩み、永遠の世界を知ったので、死から解放された立場であり、聖和式は、人生の勝利者を送る時間であり、栄光の世界、喜びの世界への旅立ちの時でもあります。息子さん、お孫さん、ご主人に見送られる りは子姉の人生は幸せな人生でした」との聖和の辞があり、その後主礼による祝祷がなされました。
次に、息子(克洋)さんによる送辞がありました。
「一緒に生活していて、父と自分は食あたりしたのに、母は何もなかった。父がコロナに罹った時、母は罹らなかった。まさに体力のある元気なお母さん。また頑固で強気なお母さん」等々懐かしいお母さんとの思い出に、参列者は笑いに包まれました。

その後、田中富広家庭連合会長、豊寿会の菅原理事長からの弔電が紹介され、献花へと進みました。
遺族代表挨拶では、ご主人が、外見からは想像できない奥さんであり、10才年上の奥さん故に色々苦労はあったが、奥さんの手を引いて歩いていたら、通りがかりの人から立派な息子さんですねと声をかけられたエピソードと共に、国家メシアの任地国決定の時クジでエジプトになったが、エジプトにはタミヤという都市があり、タミヤという食べ物がある。奥さんによって強い運勢をいただくことが出来た、等々夫人への感謝の言葉が述べられました。


その後、出殿の儀式へと進み、参列者によるお別れのお花入れが行われ、もと一心教会の教会長で現キューバ国家メシアの倉本正彦さんによる億万歳をもって、尾瀬に向かっての出棺となりました。

尾瀬霊園へは、教会長をはじめ、武蔵野家庭教会のスタッフ、一心教会、国家メシア(大滝さん、西木さん、青木悦子さん、後藤)等25名ほどが同行し、尾瀬にて原殿式、三虞祭が行われました。
尾瀬到着後、すぐに埋葬場所で、原殿式を行うこととなりましたが、雨が降り始め雷鳴が遠くに聞こえる中での原殿式となりました。ただ、埋葬時間になると雨も上がり、心置きなく埋葬、お花植えを行い、立派な埋葬花壇を造ることが出来ました。南北米東京総支部長後藤氏による億万歳をもって原殿式を終えました。その後チャペルにおいて三虞祭を執り行い、ご主人、息子さん、お嫁さん、国家メシア、一心メンバー、武蔵野教会の姉妹による姉との懐かしい思い出が語られ、りは子姉との別れを惜しみつつ午後5時過ぎに帰路につきました。
              


2024年8月19日月曜日

777双祝福家庭 荒川宏兄聖和式のご報告です

関係者の皆様へ
海外から帰国した折や緊急時の部屋の提供、また諸手続きのサポート等大変お世話になりました荒川宏兄が聖和されました。ここに心からの感謝と共に聖和の報告をいします。 

荒川宏兄は去る8月13日午前11時10分入院中の病院にて病気にて聖和されました。享年78歳でした。
8月18日午後3時より、三鷹市民斎場において、荒川宏兄の聖和式及び祈祷会が武蔵野家庭教会の李教会長を迎え、無事執り行う事ができました。
李教会長が主礼として、式を主導して下さり、参加者全員で聖歌の後前川稔さんが思いあふれる代表祈祷を捧げて下さいました。小森婦人部長の報告の後、中田さんが家庭会を代表して、古田先生、岡本さんからの多大な貢献を称えるメッセージを代読すると共に、困窮する方々の為骨身惜しまず投入して下さった荒川兄に感謝の言葉を捧げました。荒川夫妻の信仰の子女や友人の参加者全員が初期の証や内外共に助けられた感謝の祈りを捧げました。最後に李教会長が参加者皆様の涙あふれる祈祷を束ねて、荒川兄の生前の功労に感謝と共に天上への旅立ちとなる聖和祝祷を熱く祈って下さいました。
参加者は李教会長、小森婦人部長、池田総務部長、齋さん、中川さん、大山さん、島田さん 、前川さん、中畔さん、西木さん、植田さん、中田でした。
なお20日午前10時、多摩葬祭場にて、海外在住のご遺族の方も帰られご参加のもと火葬となります。

追って40日追慕式をご案内させていただきたいと思っております

追伸
なお、8月19日は三鷹市民斎場にて拝顔、祈祷することができます
(三鷹市民斎場の地図は添付致します)



2024年8月7日水曜日

777双寺田敏己兄復活期間40 日追慕礼拝の報告

 8月3 日(土)午後1 時半より6 月16 日に聖和されました寺田敏己兄の40 日追慕礼拝を、渋谷家庭教会礼拝堂において60 名ほどの777双、同志、友人、兄弟姉妹約60 名が猛暑の中集って下さり行われました。
当初、皆様が集まっての聖和式ができなかったため、寺田兄を慕う兄弟姉妹からの強い要望の中40 日追慕礼拝として行うこととなりました、祭壇には兄の遺影と遺骨を中央に、左右には田中会長、竹内副会長、趙誠一室長の供花をはじめ十数基が飾られ華やかな祭壇となりました。
式は、世田谷教会の須藤兄の司会の元、懐かしい映像を交えての略歴紹介がなされました。
代表祈祷は飯野貞夫天一国特別巡回師により、「明るく元気で思いやりのある寺田さん、天上への新しい旅立ちの日、霊界にあっては、日本の使命完遂のため、寺田家の皆さんの今後の更なる活躍のため、また地上への協助」を願う祈りがありました。
天聖経の「地上生活と霊界」のみ言葉訓読の後、主礼第一リージョン中村惣一郎巡回師による追悼の辞がありました。追悼の辞では、「1967 年開拓地尼崎での寺田さんとの出会い、1983 年アラスカで共に修練を受けたこと」を懐かしく思い出されながら、富田さん羽原さんの証を紹介されつつ、地上と霊界の関係を語り、「地上で多くの愛を体恤し善行をされた寺田さんは、まさに神様の願いに生きた人です。神様、真のお父様の元にあって更に活躍されることを祈りつつ寺田さんを霊界にお送りしたいと思います。」との追悼の辞がありました。
その後主礼による祝祷がなされ、贈る言葉は、5 月末、松濤本部天心苑で寺田さんと共に祈りの時を持たれた、元上司の古田元男さんがその様子を語ってくださいました。会った時の寺田さんはげっそり痩せていましたが、古田さんの熱い祈祷の後、寺田さんは「感銘しました。ありがとうございました。多くの恩恵を受けました。新しい出発をしたいと思います」と言って別れましたが、それから2 週間余りでの聖和ですから、私(古田)も驚いたけれど、それ以上に寺田さん本人が驚いているのではと思う。「寺田さん地上生活は終わったんだよ。霊界いることを自覚して霊界で頑張って」との送る言葉がありました。
続いてアメリカで、また帰国後親しくしていた富田さんからメッセージが届けられましたので、後藤が代読しました。「誰よりも健康に気を付けていた寺田さんが、あまり健康的でもない自分(富田)より先に行くとは本当に衝撃です」と述べられながら、懐かしいアメリカ時代の歩みを思い出しつつ、帰国後は個人会社を経営しつつ困っている人の為に尽くしてこられた寺田さんの食口を思いやる様子が述べられていました。
その後参席者全員による供花がなされ、聖歌賛美、黙祷ののち、次女の結美(ゆうみ)さんが家族を代表して御礼の言葉を述べられ、億万歳四唱をもって第一部を閉じました。(夫人の寺田良子さんは、施設入所中で外出が難しく、結美さんの子供さんたちは風邪をひいていてご主人が面倒を見られるため皆さん欠席となりました。ただ結美さんのご主人は、遺影・遺骨を届けるため結美さんの送り迎えを車でしてくださいました)
億万歳に当たり、親しくしていた全国聖和会星野義雄会長は、6 月22日遺体安置所で行われた世田谷の教会長による聖和式の時のまだ生きているような顔つきの寺田さんに「あなたは死んだんだよ」と手で顔をなでながら伝えたこと、それから2 週間もしない中、ある人の夢に寺田さんが現れて「俺は死んでいない」と言っていたことを証されながら、まさに復活期間40 日の今日こそ地上との未練を断って天上へ旅立つ日であることを遺影に向かって語りかけながら、寺田さんの天上への旅立ちを祝し、全員で億万歳四唱をしました。
その後全体で写真撮影をし、第二部の懇親会(茶話会)に移りました。最初に寺田夫人の霊の親(堀きくえさん)のご主人(43双堀信義さん)による乾杯をもって第二部は始まりました。堀さんはアメリカの神学校卒業後、一時アメリカで釣りの修練を受けていたそうですが体調を崩したとき寺田さんが配慮してくれた思い出を語っておられました。
第二部では、寺田さんとの懐かしい思い出が参加者の皆様から述べられました。特に1966 年大阪で一緒に歩み33期特別修練会に共に参加した方々が当時の思い出を懐かしく語ってくださいました。また寺田さんから経済的に支援を受けた食口からの証もありました。羽原さんからは、「寺田さんは、人を大切にする人で縁を持った人
が離教した場合どんな状況下でも訪ねていき、また人の話をよく聞く人であった」とのメールがありました。
第二部は、まさに寺田さんの人柄をしのぶ、貴重な一時でもありました。会は14時に散会しました。
(文責:後藤誠一)



戸石文夫さんの聖和1周年追慕礼拝の報告 

 南北米福地開発協会の前事務局長の戸石文夫さんが亡くなられて1周年となりますが、この8月4日、日曜日に世界平和統一家庭連合の浦和家庭教会で安榮燮大教会長の主礼「追慕礼拝」が行われました。

 参加者はご遺族から夫人の戸石泰子さんはじめお子さんやお孫さん、親族の方々。また南北米福地開発協会から中田欣宏理事長はじめ飯野貞夫理事、高橋昭三北日本総支部長、和田賢一事務局長他、同協会の会員、その他故人と親しくお付き合いのあった方ら50人が参列された。

 飯野氏の代表祈祷の後、礼拝の説教として主礼の安大教会長が立たれて、「戸石さんとお会いするたびに謙遜な人柄、和気あいあいとした家族関係を作り上げられたことに敬意を表します。南米パラグアイのレダでの開拓に専念されたことにも感謝申し上げます」と語られた上で、「霊界で真のお父様とお働きになっておられることでしょう。また、霊界に行かれた方々に対して、地上にいる私たちは、解怨のために尽力しましょう」と結ばれました。

 その後、中田氏がレダ開拓当時からの活躍する戸石さんの姿が映っている映像を紹介しつつ、戸石さんのレダ現地での貢献、また帰国後、事務局での献身的な働きを説明しながら、感謝と評価の言葉を参加者に伝えられました。その後立った高橋氏も、事務局で働かれる戸石さんの人格的な深さについて証しされました。こうしたエピソードが告げられるたびに温かい拍手が起こりました。

 家族代表として戸石賢吾さんが登壇、「父が逝って早くも1年が経過、今でも父の姿を思い起こします。絶えず父が見守ってくれているのだろうと思い、頑張っていきたい。今日の参列に感謝いたします」と結ばれました。

 式典の後、参加者が安大教会を中心に車座になり茶話会が開かれ、参加者はそれぞれ戸石さんとの思い話に花を咲かせる時間を持って終了しました。
(文責:和田賢一)


追伸)後日戸石婦人からは「主人の一周忌ありがとうございました。共に歩んだ皆様にきていただき😂嬉しい最高のひと時でした」との連絡を頂きました