2024年8月10日午前1時47分に病気のため聖和されました武蔵野家庭教会所属の田宮りは子姉の帰歓式、聖和式、尾瀬での原殿式の報告をさせていただきます。
帰歓式は、8月18日(日)午後6時から、杉並家庭教会において行われました。
祭壇には、りは子姉の遺影・遺体を中心に、田中富広家庭連合会長をはじめ、多数の供花が左右に飾られていました。参加者は、ご遺族をはじめ、国家メシア、一心教会、武蔵野家庭教会、1800双関係者約100人ほどが姉との別れのため集って下さいました。司会は、武蔵野家庭教会の鴨志田部長が担当されました。
1996年エジプトの国家メシアを拝命し、活躍してこられました。数年前、三世代同居のため豊島区の一心教会から武蔵野市の武蔵野教会に移られ、息子さん、お孫さんに囲まれた充実の日々を送っておられましたが、昨年脳梗塞を発症し、闘病中の2024年8月10日聖和されました。享年86才でした。
報告祈祷は、1800双の大越喜美江さんが、担当して下さいました。
み言訓読は「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の「創造的三段階」が訓読され、主礼(武蔵野家庭教会 李昌模教会長)による帰歓の辞へと進みました。
李教会長は、「武蔵野教会に来られて間がないので、食口との触れあいは少なかったが、為に生きた人生、息子さんお孫さんと共に過ごす事が出来た人生は、素晴らしく、まさに天国に行く人生でした」と祝されながら、息子さんとご主人を突然指名され、証をするように指示されました。
報告祈祷は、1800双の大越喜美江さんが、担当して下さいました。
み言訓読は「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の「創造的三段階」が訓読され、主礼(武蔵野家庭教会 李昌模教会長)による帰歓の辞へと進みました。
李教会長は、「武蔵野教会に来られて間がないので、食口との触れあいは少なかったが、為に生きた人生、息子さんお孫さんと共に過ごす事が出来た人生は、素晴らしく、まさに天国に行く人生でした」と祝されながら、息子さんとご主人を突然指名され、証をするように指示されました。
まず、霊の親の松本邦俊さんから、伝道した当時の様子、その後献身してからのやりとりの中で、難しく厳しい環境圏のなかでも「楽しいです」「感謝しています」といつも前向きな返事に逆に自分が反省させられることが多く、「感謝と喜び」を教えてくれた りは子さんであったと感謝の証がありました。
続いて突然指名されて証の場に立った夫の隆實さんからは、「祝福時、39才の女性を誰が面倒見るのだろうと思っていたが、気がついたら自分が、りは子さんの相対者になっていた」「おとなしそうな外見とは違って、行動力があり、自分が間違っていても謝らない強い女性」等々の話と共に、「彼女によって愛の訓練を受けることが出来た」と感謝の言葉がありました。
息子の克洋さんからは、「最初母の和食料理が好きではなかったが、母は料理が上手だったこと、信仰には体力が重要であることを教えられた」等の言葉がありました。その後、参列者による献花がなされ、主礼による祈祷、黙祷に続き、ご主人による遺族の挨拶がありました。
外見から、また第三者からは想像も出来ない強いりは子姉の姿をご家族の証の中から垣間見、参列者からは笑いの絶えない帰歓式となりました。その後全体写真、拝顔、李教会長を中心に姉のための祈祷会がなされました。
翌日(19日)の聖和式は、午前10時から同じく杉並家庭教会においてなされました。関係者70名ほどが集う中、式は進められました。
司会は鴨志田部長が、主礼は、李昌模武蔵野教会長が昨日同様担当して下さいました。
報告祈祷は、武蔵野家庭教会の小森女性部長が、担当して下さいました。
その後、初期の頃共に歩んだ大滝順治さんが自身の証を交えつつ、遠方のため参席できなかった今井昇氏の証文を紹介されました。今井氏は、50年前、北海道から沖縄まで共に歩んだ時のことを思い出しながら、見た目に似合わず根性があり、ゆっくりではあるがトウトウと話す りは子姉の姿を懐かしんでおられました。
続いて、昨日と同じみ言が訓読され、李昌模教会長による聖和の辞となりました。
「メシアに出会った我々は幸せな人生を歩み、永遠の世界を知ったので、死から解放された立場であり、聖和式は、人生の勝利者を送る時間であり、栄光の世界、喜びの世界への旅立ちの時でもあります。息子さん、お孫さん、ご主人に見送られる りは子姉の人生は幸せな人生でした」との聖和の辞があり、その後主礼による祝祷がなされました。
次に、息子(克洋)さんによる送辞がありました。
「一緒に生活していて、父と自分は食あたりしたのに、母は何もなかった。父がコロナに罹った時、母は罹らなかった。まさに体力のある元気なお母さん。また頑固で強気なお母さん」等々懐かしいお母さんとの思い出に、参列者は笑いに包まれました。
司会は鴨志田部長が、主礼は、李昌模武蔵野教会長が昨日同様担当して下さいました。
報告祈祷は、武蔵野家庭教会の小森女性部長が、担当して下さいました。
その後、初期の頃共に歩んだ大滝順治さんが自身の証を交えつつ、遠方のため参席できなかった今井昇氏の証文を紹介されました。今井氏は、50年前、北海道から沖縄まで共に歩んだ時のことを思い出しながら、見た目に似合わず根性があり、ゆっくりではあるがトウトウと話す りは子姉の姿を懐かしんでおられました。
続いて、昨日と同じみ言が訓読され、李昌模教会長による聖和の辞となりました。
「メシアに出会った我々は幸せな人生を歩み、永遠の世界を知ったので、死から解放された立場であり、聖和式は、人生の勝利者を送る時間であり、栄光の世界、喜びの世界への旅立ちの時でもあります。息子さん、お孫さん、ご主人に見送られる りは子姉の人生は幸せな人生でした」との聖和の辞があり、その後主礼による祝祷がなされました。
次に、息子(克洋)さんによる送辞がありました。
「一緒に生活していて、父と自分は食あたりしたのに、母は何もなかった。父がコロナに罹った時、母は罹らなかった。まさに体力のある元気なお母さん。また頑固で強気なお母さん」等々懐かしいお母さんとの思い出に、参列者は笑いに包まれました。
その後、田中富広家庭連合会長、豊寿会の菅原理事長からの弔電が紹介され、献花へと進みました。
遺族代表挨拶では、ご主人が、外見からは想像できない奥さんであり、10才年上の奥さん故に色々苦労はあったが、奥さんの手を引いて歩いていたら、通りがかりの人から立派な息子さんですねと声をかけられたエピソードと共に、国家メシアの任地国決定の時クジでエジプトになったが、エジプトにはタミヤという都市があり、タミヤという食べ物がある。奥さんによって強い運勢をいただくことが出来た、等々夫人への感謝の言葉が述べられました。
尾瀬霊園へは、教会長をはじめ、武蔵野家庭教会のスタッフ、一心教会、国家メシア(大滝さん、西木さん、青木悦子さん、後藤)等25名ほどが同行し、尾瀬にて原殿式、三虞祭が行われました。
尾瀬到着後、すぐに埋葬場所で、原殿式を行うこととなりましたが、雨が降り始め雷鳴が遠くに聞こえる中での原殿式となりました。ただ、埋葬時間になると雨も上がり、心置きなく埋葬、お花植えを行い、立派な埋葬花壇を造ることが出来ました。南北米東京総支部長後藤氏による億万歳をもって原殿式を終えました。その後チャペルにおいて三虞祭を執り行い、ご主人、息子さん、お嫁さん、国家メシア、一心メンバー、武蔵野教会の姉妹による姉との懐かしい思い出が語られ、りは子姉との別れを惜しみつつ午後5時過ぎに帰路につきました。
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