8月3 日(土)午後1 時半より6 月16 日に聖和されました寺田敏己兄の40 日追慕礼拝を、渋谷家庭教会礼拝堂において60 名ほどの777双、同志、友人、兄弟姉妹約60 名が猛暑の中集って下さり行われました。
当初、皆様が集まっての聖和式ができなかったため、寺田兄を慕う兄弟姉妹からの強い要望の中40 日追慕礼拝として行うこととなりました、祭壇には兄の遺影と遺骨を中央に、左右には田中会長、竹内副会長、趙誠一室長の供花をはじめ十数基が飾られ華やかな祭壇となりました。
式は、世田谷教会の須藤兄の司会の元、懐かしい映像を交えての略歴紹介がなされました。
代表祈祷は飯野貞夫天一国特別巡回師により、「明るく元気で思いやりのある寺田さん、天上への新しい旅立ちの日、霊界にあっては、日本の使命完遂のため、寺田家の皆さんの今後の更なる活躍のため、また地上への協助」を願う祈りがありました。
天聖経の「地上生活と霊界」のみ言葉訓読の後、主礼第一リージョン中村惣一郎巡回師による追悼の辞がありました。追悼の辞では、「1967 年開拓地尼崎での寺田さんとの出会い、1983 年アラスカで共に修練を受けたこと」を懐かしく思い出されながら、富田さん羽原さんの証を紹介されつつ、地上と霊界の関係を語り、「地上で多くの愛を体恤し善行をされた寺田さんは、まさに神様の願いに生きた人です。神様、真のお父様の元にあって更に活躍されることを祈りつつ寺田さんを霊界にお送りしたいと思います。」との追悼の辞がありました。
その後主礼による祝祷がなされ、贈る言葉は、5 月末、松濤本部天心苑で寺田さんと共に祈りの時を持たれた、元上司の古田元男さんがその様子を語ってくださいました。会った時の寺田さんはげっそり痩せていましたが、古田さんの熱い祈祷の後、寺田さんは「感銘しました。ありがとうございました。多くの恩恵を受けました。新しい出発をしたいと思います」と言って別れましたが、それから2 週間余りでの聖和ですから、私(古田)も驚いたけれど、それ以上に寺田さん本人が驚いているのではと思う。「寺田さん地上生活は終わったんだよ。霊界いることを自覚して霊界で頑張って」との送る言葉がありました。
続いてアメリカで、また帰国後親しくしていた富田さんからメッセージが届けられましたので、後藤が代読しました。「誰よりも健康に気を付けていた寺田さんが、あまり健康的でもない自分(富田)より先に行くとは本当に衝撃です」と述べられながら、懐かしいアメリカ時代の歩みを思い出しつつ、帰国後は個人会社を経営しつつ困っている人の為に尽くしてこられた寺田さんの食口を思いやる様子が述べられていました。
その後参席者全員による供花がなされ、聖歌賛美、黙祷ののち、次女の結美(ゆうみ)さんが家族を代表して御礼の言葉を述べられ、億万歳四唱をもって第一部を閉じました。(夫人の寺田良子さんは、施設入所中で外出が難しく、結美さんの子供さんたちは風邪をひいていてご主人が面倒を見られるため皆さん欠席となりました。ただ結美さんのご主人は、遺影・遺骨を届けるため結美さんの送り迎えを車でしてくださいました)
億万歳に当たり、親しくしていた全国聖和会星野義雄会長は、6 月22日遺体安置所で行われた世田谷の教会長による聖和式の時のまだ生きているような顔つきの寺田さんに「あなたは死んだんだよ」と手で顔をなでながら伝えたこと、それから2 週間もしない中、ある人の夢に寺田さんが現れて「俺は死んでいない」と言っていたことを証されながら、まさに復活期間40 日の今日こそ地上との未練を断って天上へ旅立つ日であることを遺影に向かって語りかけながら、寺田さんの天上への旅立ちを祝し、全員で億万歳四唱をしました。
その後全体で写真撮影をし、第二部の懇親会(茶話会)に移りました。最初に寺田夫人の霊の親(堀きくえさん)のご主人(43双堀信義さん)による乾杯をもって第二部は始まりました。堀さんはアメリカの神学校卒業後、一時アメリカで釣りの修練を受けていたそうですが体調を崩したとき寺田さんが配慮してくれた思い出を語っておられました。
第二部では、寺田さんとの懐かしい思い出が参加者の皆様から述べられました。特に1966 年大阪で一緒に歩み33期特別修練会に共に参加した方々が当時の思い出を懐かしく語ってくださいました。また寺田さんから経済的に支援を受けた食口からの証もありました。羽原さんからは、「寺田さんは、人を大切にする人で縁を持った人
が離教した場合どんな状況下でも訪ねていき、また人の話をよく聞く人であった」とのメールがありました。
第二部は、まさに寺田さんの人柄をしのぶ、貴重な一時でもありました。会は14時に散会しました。
(文責:後藤誠一)
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