2022年6月13日月曜日

青木賢次郎兄の帰歓式の報告

612日午後7時より新宿教会において「天寶1800双祝福家庭・ロシア国家メシア」青木賢次郎兄の地区帰歓式が行われました。

真の御母様からは、「天寶搭載祝福家庭天一国百姓之完成」の揮毫を賜り、祭壇中央には兄のにこやかな遺影が飾られ、左右には会長団をはじめ親族、宣教地、南北米、教会、関係者からの供花40基余りが飾られていました。



参席者は、ご親族をはじめ、国家メシア、武蔵野家庭教会の食口、故人と縁のある人等200人ほどに上りました。またユーチューブによる海外への配信も行われました。

武蔵野家庭教会の鴨志田氏による司会で式は始まり、略歴紹介。故人の懐かしい映像紹介がありました。

19468月生まれ、1970年に献身、1975年に1800双の祝福を悦子夫人と受け、世界宣教師としてバルバドスをはじめニュージーランド、アルゼンチン、チリ等、96年にはロシアの国家メシアに…

青木兄の最後の言葉は、「自分の人生は、感謝の人生で、やるべきことをやってきたので思い残すことはない」でした。

報告祈祷は、最初の開拓地函館で伝道された南部恵子さんが、当時を懐かしみ振り返りながら、信仰の親である青木兄への尊敬と感謝の祈りをささげられました。

み言葉訓読は、「天聖経第7編地上生活と霊界」の第三節から引用されました。

その後帰歓の辞が、新日本家庭連合会長で第一地区の地区会長田中富広会長からありました。


「青木先輩を知る人に尋ねてみると、青木さんは、猪突猛進、いかつい雰囲気だけれど信仰の子女には意外なことに女性が多いこと、天命には絶対的な人等の評価があった。」と。また「
52年の信仰生活はジェットコースターのような生涯であった」事等が紹介され、その後、聖和直前に出版された賢次郎兄の自叙伝の中からの内容が紹介されました。「賢次郎先輩の生涯は4つの節目に分けることが出来る。①祝福、②ロシアでのKGBとの戦い、③レダ時代、④20201010日の天寶搭載」に。

「胎中は、地上生活の準備のためであり、地上は霊界への準備のために愛の感性を育てていくところであるが、青木先輩は愛の関係を築いていかれて、祝福家庭として誇りうる方であり、天寶搭載により真のお母様に覚えていただけた生涯であった」等の話がありました。

次に日本天議苑の徳野英治苑長から送る言葉があり、南北米の中田理事長が代読されました。

その中では「青木兄の実績は、①ロシアの国家メシア、②二人の子供さんが立派に祝福を受けられ7人のお孫さんがいること、③天寶家庭になられたこと、④20235月までのノルマを果たして行かれたことである」と。

次に信仰の親である、古田元男さんから証がありました。


1967
年地区長として徳島に赴任して時出会い、自分の話を聞いて修練会に出ることを決意した事、青木さんは40年以上にわたり宣教師として活動してきたが、自分(古田)が、アルゼンチンの宣教師・国家メシアに任命されてアルゼンチンに行くと、自分たちが指導を受けた青木さんの信仰の親(古田)がアルゼンチンに来るというのでアルゼンチンメンバーから大歓迎を受けた事、またチリでは、祝福2世の名前に賢次郎とか夫人の悦子という言葉が尊敬の念を込めてつけられている事とともに、霊界の賢次郎さんから「自分の勝利は妻のおかげ」という言葉が語られたこと等が証されました。

海外からもメッセージが多数寄せられており、一部が紹介されました。

その後参加者全員による献花がなされ、田中会長による故人への慰労と霊界への旅立ちそして霊界からの協助を願って祝祷が捧げられました。全員で故人への感謝と霊界への新たなる旅立ちを祈りました。最後に遺族を代表して夫人の挨拶がありました。


「海外生活が長かったため親族との交わりが薄く、果たして帰歓式・聖和式に来ていただけるかと心配していましたが、夫の兄弟、自分の兄弟も遠方より来てくれました。夫は
2015年にバイパス手術を受け、2年前には透析をするようになり心不全も起こすことが何度もあったので霊界が近いのでは?と案じていたところ61日透析中に呼吸困難になり、入院したので海外にいる息子と娘を呼び寄せ、4日には面会がかない、7日には完成した自叙伝を本人に届け、翌日聖和しました。本当に天に導かれ愛された生涯でした。」と。

その後遺影をバックに記念写真を、ご家族・参加者を交えてとり、その後棺に納められている故人を拝顔し、故人との地上の別れをして一連の式をおえました。


文書執筆は後藤誠一さん、写真撮影は石川仁さんになります

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