2024年10月23日水曜日

777双祝福家庭サウジアラビア国家メシヤ飯野絢子姉の聖和式の報告

1023日午前1045分より、飯野絢子姉の聖和式が、横浜市緑区長津田の山水閣において行われました。
姉と共に御旨を歩んだ兄弟姉妹、姉を慕う兄弟姉妹等約100人が集いました。司会は昨日に続き渋谷家庭教会の中程副教会長がして下さいました
準備聖歌は清平の徹夜祈祷で歌われている「私は今祈祷します」を韓国語で唱和しながら場を整え神霊に満たされた中、式は始まりました。開式、黙祷、略歴紹介と続き、映像上映は光の子園で歌われている「ありがとう」をバックミュージックに、姉の思い出の写真が上映されました。
聖歌39番の後、報告祈祷は阿部公子さんがして下さいました。絢子姉の聖和に驚きつつ、どれほど天の父母様を愛し精誠の歩みをされた姉であったかを偲ばれ、ご主人ご家族への協助を願うお祈りをされました。
聖和の辞は、渋谷家庭教会の渡辺一喜大教会長が担当して下さいました。天聖経の「地上生活と霊界」からのみ言を訓読され、地上生活は天の父母様、真の父母様と一つになるための歩みであり、聖和は天の父母様と一つになる事である。2017年に理想家庭に掲載された姉の証し文を読むと、天命に答えんとする真の父母様の姿を見倣い、御父母様の願いに応えるべく御旨に、また兄弟姉妹にのため父母の心情で歩まれた愛の方であり、聖日の礼拝後はいつも励ましの言葉を寄せて下さった、印象に残る先輩であったと、姉への深い感謝の心情に溢れた聖和の辞となりました。その後主礼による祈祷がなされました。
横井捷子夫人による送辞では、入院2日前の924日に15分ほど話しましたが、姉は妖精のような人で、意志の強い人との証しがありました。
6歳の孫の輝宅君からは、おばあちゃんに「テコンドー」の技を披露し元気で逞しい姿を披露しました。
弔電紹介では、田中富広家庭連合会長からの弔電、日本UPF大塚克己議長からの手紙、パラグアイ・レダの岩澤春比古代表からのメッセージが披露されました。
その後参列者による献花がなされ、聖歌賛美は「私は今祈ります」が韓国語で唱和されました。参列者全員による黙祷の後、ご主人の飯野貞夫さんからは、共に理解し合えた夫婦であったが、長寿の家系の絢子さん故まさか自分より早く行くとは思ってもいなかったと語られながらも天上での活躍を祈ると共に、自分は地上で頑張るとの言葉があり、主礼の渡辺大教会長、参加者への感謝の言葉がありました。
閉式後は、出殿の儀式となり、姉との別れに思いを馳せる一時となりました。
その後1230分には横浜の北部斎場に出発しました。




(文責:後藤誠一)

777双祝福家庭サウジアラビア国家メシヤ飯野絢子姉帰歓式の報告

1015日に病気のため聖和されました飯野絢子姉の帰歓式が、1022日午後6時より横浜市緑区長津田の山水閣で、小山田秀生元老牧会者会会長を主礼に、渋谷家庭教会の中程副教会長の司会の下、施主飯野貞夫さん、ご遺族、食口・兄弟姉妹約100名余が集い行われました。

式は、開式、黙祷に続き、略歴紹介がなされました。

飯野絢子姉は19381月に新潟で誕生され、196527の時東京で伝道され、26期の特別修練会を経て献身。その後仙台、鹿児島、本部青年部等で活動。777双の祝福の時は2番目に飯野貞夫さんとマッチングを受けられました。1971病気になり心配された真のお父様は韓国に来るように言われ、2月間韓国で療養。1972年巡回師、1973年家庭出発、その後アメリカでも活動されました。1996年サウジアラビアの国家メシアを拝命され、1999年からはレダ開発に携わり、2008年から4年あまりご夫妻で現地で活動されました。本年9月末黄疸を発症し入院、治療を続けていましたが、20241015日聖和されました。享年86歳でした。

続く、映像上映は「ありがとう」の歌をバックに、在りし日の懐かしい姉の姿を偲ぶ一時を持ちました。


報告祈祷は、信仰の祖母に当たる井上恭子さんが、「真の父母様に愛された絢子さん、御父母様への忠誠心の深い絢子さん」と祈られました。

み言訓読は、天聖経の第七編第二章第二節「霊人の生活」からなされ、帰歓の辞を小山田秀生氏が担当されました。「絢子姉は品の良い姉妹で御父母様から特別に愛された。病気にかかるやお父様から韓国に来るように言われ、お父様が心配して下さった。そのため病気が治るやこの命は御父母様から与えられた命ゆえ、汚してはならないと御旨のために一直線に頑張ってこられた」等の話がありました。


送辞は、絢子姉の信仰の子女の青木直子さんの送辞をご主人の青木祐之助さんが代読されました。

直子さんは9月初めに脳梗塞で入院し、現在リハビリ中のため、暫く絢子お姉さんと連絡が取れないでいたら、絢子お姉さんが聖和されたと聞き、信じられない気持ちと驚きで一杯。もう一度話したかった、尊敬してやまないお姉さん、真心を尽くして真のお父様に侍られたお姉さん、沢山の思い出をありがとう。」と。


続く、証しの太田郁恵さんからは、「病気治療で絢子姉と韓国の同じ部屋で一緒に寝ていたのにお父様は絢子!絢子!と言って、自分の方には目もくれられず、初めて愛の減少感を感じた思い出、お父様が日本を愛するようになったのは太田郁恵さんの歌がきっかけになっているのに郁恵さん知らないのと絢子姉からいわれこと。」等の証しに会場は笑いに包まれました。


その後、南米パラグアイ・レダの責任を持つ岩澤春比古代表からのメッセージが代読されました。

「飯野絢子姉は、弟妹への面倒見も良く、現地の人からも感謝されています」等のメッセージがありました。

その後、光の子園の先生方による「がんばります」の歌が披露され、参席者による献花へと進みました。


献花の後、清平の徹夜祈祷会で歌われている「私は今祈祷します」を参加者全員で韓国語で唱和し、主礼による祈祷が成されました。その後黙祷を捧げました。 施主飯野貞夫さんによる遺族代表の挨拶では、UPFの大塚議長による手紙が披露され、参席者への感謝の言葉を持って式を終えました。その後記念撮影、拝顔がなされ、有志による祈祷の時間を持ちました。





(文責:後藤誠一 写真:石川仁)


2024年10月11日金曜日

中田理事長からのメッセージです

関係者の皆様へ
急速に気温が下がり、秋の季節となってきました。お変わりございませんか?
寒暖差が激しい時期、くれぐれもご自愛ください。
9月度のご支援ありがとうございました。
「10月5日拡大理事会、10月7日オンライン運営会議を行いました」

1.元ジャルジン開拓者の石井康博さん、57歳が新たに理事として参加していただくことになりました。次回理事会にて再度提案予定です。創設者の下で直接南米摂理の薫陶を受けられ活動してこられました。ゆえポルトガル語は堪能で南米経験十分です。

2.山崎茂章さんが10月2日デンマーク経由でレダに帰られました。日本滞在中は月例担当、関西総支部集会、中四国総支部集会、山口集会等そしてデンマークでも五十嵐さんの下、レダ報告会を持たれました。本当にお疲れさまでした。
五十嵐さん、ありがとうございました。


3.10月7日、パク養殖事業を中心とした、第3回運営会議をオンラインにて開催。ロードマップに沿って進捗状況の報告と共有を計る。現場は滝川さんを中心に、川久保さん、坂西さんが担当してくれていますが、販売要員が不足、販売販路拡大に向けて人材補強(最低2人追加)が必須。又販売の強化策と共にコストの削減策、生産池の合理化、財政問題や評価方法の見直しなど検討す。「PezPeranza」のロゴステッカー完成。ブランド認知向上に向けて、ステッカーを貼って販売する。禁魚シーズンの養殖パク販売拡大に向けて取り組む。なお横断ハイウエーは第3工期の着工が発表と。
https://drive.google.com/file/d/16_KYOxcZ-db7fODHXzIZi5PfKcPlLKEC/view?usp=drive_link

4.食品加工事業:会計ソフトの導入。これによってインボイスの発行やクレジットカード決済での購入も可能となりました。ここも販売要員が不足しています。又年末までに土地代金の完済が不可欠です。皆様のご支援又投資よろしくお願いいたします。
詳しくは中田まで問い合わせください。

5.帰国:森澄佳さんが10月12日17時20分羽田着予定
  白柿雄斗君が10月17日16時35分羽田着予定
  本当にご苦労様でした。ご尽力心より感謝申し上げます。

6.現在チャパボラ参加メンバー募集中です。募集人員5名で現在2名の応募があります。お知り合いなどで希望者がおられましたら、藤生理事まで連絡お願いいたします。現在2人の出発予定は1月です。

7.「エスペランサ村の子供たちに服と太鼓をとどけよう」プロジェクトの報告
青年を中心に取り組んでいきました。おかげさまで、目標としていた支援金を大きく上回ることができました。
計画していた活動を進めることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
以下は現地からのレポートになります
現地からのレポート)
9月29日から10月4日までCarmelo Peralta(地名)でOlimpo, Bahía Negra, Toropampa, Casado, Carmelo Peraltaなどの青年が集まってスポーツ大会をしました。そこに初めてインディオ代表でエスペランサ村が参加しました。小学校3年生が26人、中学、高校生が21人、引率を含めて47人が参加
そのときの小学生26名のTシャツと応援するための太鼓の支援をしました
写真の中の黒のTシャツが支援したものになります

写真)


「10月度のご支援及び各自立化プロジェクトへのご支援よろしくお願いいたします。」

2024年10月10日  中田欣宏