2024年9月25日水曜日

中田理事長からのメッセージです

関係者の皆様へ
ようやく酷暑の季節を過ぎ、秋の涼しさを感じる日々がやってきたようです。
皆様お変わりございませんか? 激しい豪雨が能登半島を襲い、甚大な被害が出ており心が痛みます。心からお見舞い申し上げると共に、1日も早く通常の生活に戻りますようにお祈り申し上げます。激しい気候変動の波は世界を襲いっています。南米も干ばつの影響がアマゾン川流域でも深刻化し、川の恵みで生活する人々を苦境に追いこんでいます。又パラグアイ川の水位も大きく下がっており、トレスの運航にも支障が出始めているようです。
9月に入り、2日にマルタ国家メシヤ飯山和子姉、11日にスリナム国家メシヤ植田剛男兄が聖和されました。み旨成就の為に精誠の限りを尽くされた生前のご尽力に心からの感謝と敬意を表します。ありがとうございました。新たな世界での一層のご活躍お祈り申し上げます。
9月も残り1週間を切りました。今月度のご支援よろしくお願いいたします。

1.出発:水落勝氏、14日月例を担当して下さり、質疑応答やその後の懇談会にも参加くださりレダでの活動と今後への思いを熱く語ってくださいました。
バイアネグラ市での「パク放流式」で「与え為に生きる教育」としてのパク放流式のすばらしさ、ネコ市長のメッセージで「掴んだものを自分の手から離すことの大切さを放流式は教えてくれる」「多くの子ども達や人々に参加して欲しい」などを証しや(彼自身は放流式の為の桟橋をわずかな時間で開会直前に完成させた)、10年20年先のレダ自立と地域産業の育成に向けての思いなど語ってくださいました。9月14日出発無事レダに到着しております
月例集会での水落さんの映像はこちらです(18分)
https://youtu.be/U1X3hHQeAbc

2.出発予定:山崎茂章氏、8月3日帰国後17日月例担当、25日関西総支部会議にて報告、11日吉井氏集会参加報告、28日中四国総支部会議参加報告予定、10月1日出発予定日10月1日―5日五十嵐国家メシヤの下、ヨーロッパで初めてのレダ報告会開催予定です。
https://youtu.be/cjf_f6i4d4c

3.小橋惠造氏帰国報告:9月4日スタッフ集会において、今現在のレダについて報告してくださいました。長年のご尽力には重ね重ね感謝申し上げます。

4.  帰国:杉山智美さん、9月22日チャパボラ4期生杉山智美さんがまる1年滞在活動して帰国されました。現地では内務の責任分担を担当しました。ご活躍に感謝感謝です。今後ともよろしくお願いいたします。

5.  養殖・自立化運営委員会:9月9日第2回オンライン会議開催:自立経済に向けての取り組み、見直し案件も含め、一歩一歩着実に進行中、感謝!

6.  食品加工販売:全ての書類、許認可完了し、生産販売活動に入った。El Parana Country Club のフェリアの参加店舗となり、ソーセージを販売開始。今後の課題として、会計ソフトを入れ、本格的販売活動に入る。
https://www.instagram.com/reel/C_yrLPUPQb5/?igsh=MWZucnJjN3dxMTdwZQ==

7.  予定:①10月12日:月例、担当は石井鉄雄君で場所は大山ふるさと会館です。石井君は2月南米セミナーに参加後第4次プロジェクトのスタッフとして参加、その後パラグアイに残り現地業務やセミナーに参加しその後渡米、8月USAメンバーのツアーに通訳として参加ご8月21日帰国

②帰国チャパボラメンバー:10月12日=第5期森澄佳(9か月)さん、10月17日=第4期白柿雄斗君(1年)ご活躍に心より感謝申し上げます。

8. 2025年度カレンダー:原田理事が担当してくださいます。

2024年9月24日  中田欣宏

2024年9月18日水曜日

777双祝福家庭スリナム国家メシヤ植田剛男兄の帰歓式聖和式の報告

 <帰歓式の報告>
 2024年9月11日に病気のため聖和されました777双、スリナム国家メシア植田剛男兄の帰歓式が9月16日午後6時より、登美夫人、子供さん、お孫さんをはじめ、親族、777双、国家メシア、スリナム宣教師、武蔵野家庭教会食口等80人ほどが集う中、杉並家庭教会において行われました。祭壇中央には兄のにこやかな笑顔の遺影と共に棺が、左右には田中富広家庭連合会長をはじめ親族、南北米福地開発協会、777双家庭会等の供花が飾られていました。


 式は、武蔵野家庭教会の鴨志田隆氏が司会を、第一リージョン巡回師で777家庭会会長の中村惣一郎氏が主礼を努めて下さいました。
 開式、黙祷に続き、個人の略歴紹介が成されました。1944年3月18日高知市に誕生。先祖は山内一豊の家臣で、静岡県掛川市から高知に移ってきたとのこと。小学1年の時父親が亡くなり、母も生活のため仕事で忙しく、一時期養護施設で生活。小学校3年からは叔母の家での生活と、苦労の多い少・青年期を過ごされましたが、お母様の強い願いもあり北九州大学に進学。大学在学中に伝道され、卒業後、献身の道を歩まれました。1970年に登美夫人と祝福を受け、1973年に夫人が渡米し、米国で宣教活動をしておられた関係もあって1975年に渡米、76年ワシントン大会後に帰国され、その後は事業部で活動。1995年に夫人の故郷新潟に還故郷。96年スリナムの国家メシアを拝命し、97年から99年までスリナムで活動。2014年に東京に転居。5年ほど前から歩行中転倒することが増え、2020年1月1日教会での祈祷を終えて自転車で帰宅途中転倒、歩行困難となって外出もままならない所、今年8月に帯状疱疹で入院、退院後は言葉も少なく、食欲もなくなり、9月11日肺炎を併発して聖和されました。享年80歳でした。夫人との間に3人の娘さんがおられます。
 略歴紹介の後、兄を偲ぶ懐かしい映像が上映され、映像に時には笑いに包まれる一時もありました。
 その後、聖歌39番を全員で讃美し、報告祈祷は、777双の大西邦弘氏がして下さいました。
 続いて、天聖経の第七編「地上生活と霊界」の中の第三章「永世のための地上生活」の中から地上生活の重要性のみ言が訓読されました。主礼による帰歓の辞では、家庭連合の初期の頃に献身の道を歩み、また宣教が始まったばかりのアメリカでの苦労の多かった歩み、更にはスリナムでの国家メシアとしての歩み等は、まさに文先生の「国を超え民族を超えて人々にいのちを与え」続けられた誇りある歩みであり、植田剛男兄の生涯であります。兄の天上への旅立ちを敬意をもって心から送ると共に、我々も地上で責任を果たして行きましょう、との言葉がありました。

 続いての証しでは、スリナム宣教師松江邦子さんが、ラインに送られてきたスリナム宣教師の植田兄への感謝の言葉と共に、1975年の三国宣教師により導かれた国会議員や元大統領の関係者からのメッセージ、ボイスメールが紹介され、祝福伝道においては、「全宣教師に勝利させてあげたい」との熱い思いを持って宣教師達を励まし、現地の人たちからも慕われた誠実で真摯、慈愛に満ちた笑顔の植田兄をあかしされました。

 その後、聖歌4番の讃美、参席者による献花、聖歌42番の讃美、主礼による祝祷と続き、最後は遺族を代表し夫人による参席者への感謝の言葉と共に、生前の様子が紹介されました。5年前から歩行が困難になり、医者からは「パーキンソン症候群」と言われていたこと、住まいもようやく念願叶って今年7月3階から1階に移ることが出来たけれど、帯状疱疹を発症し、9日間の入院で更に気力が萎え、食欲もなくなり、9月11日肺炎により聖和されたことが証しされました。言葉少ない夫であったが、亡くなるまでの4年間は、夫の生の声を聞くことが出来た貴重な期間であったとの言葉をもって、帰歓式を終えました。その後参列者による拝顔等が成されました。




<聖和式の報告>
 2024年9月17日午前11時15分より植田剛男兄の聖和式が行われました。遺族・親族と共に、彼と縁のあった777双、国家メシア、スリナム宣教師、武蔵野家庭教会の食口等60数名が参席し聖和式は始まりました。
 司会は昨日同様武蔵野家庭教会の鴨志田隆氏、主礼は武蔵野家庭教会の李昌模教会長が務めて下さいました。
 略歴紹介、映像上映、聖和讃美の後、報告祈祷は、9月2日に植田兄を見舞い、1975年・76年米国で共に活動した大滝順治氏が、生前の植田兄を偲びながら心情あふれる祈りをして下さいました。
 続くみ言訓読は、「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会」の「創造的三段階」が訓読され、主礼(武蔵野家庭教会 李昌模教会長)による聖和の辞へと進みました。聖和の辞では、腹中・地上・死後の世界(霊界)の三段階の人生を紹介されながら、聖和式の意義を語られ、植田兄は天の命令に従い、アメリカ、スリナム、レダへと出かけ歩まれた姿は、まさに真の息子の姿であり、神様を中心とした人生そのものゆえ、永遠の道への門を開き、真のお父様が迎えて下さる栄光の道であります。そのような植田兄ゆえ、心から精誠を込めて天上へお送りしましょう。との言葉がありました。
 その後主礼による祈祷の後、故人のお孫さんで小学生の橋本誠太郎君による送辞がありました。おじいさんとの懐かしい思い出を語りながら、残された子供・孫・家族親族を見守って下さいとのお願いの言葉がありました。
 続く弔電紹介では、家庭連合田中富広会長からの感謝とねぎらいの言葉が紹介され、スリナム国家メシアとして共に歩まれた韓国の国家メシア文ユンホ氏から、絶対信仰、絶対愛、絶対服従、更にはスリナムの祝福勝利のために一片丹心で歩まれた植田兄への敬意と共に天への安らかの入場を祈願された手紙が紹介されました。
 その後、聖歌賛美、参席者による献花、聖和讃美の後、夫人による御礼の挨拶があり、聖和式を終えて出殿の儀式となりました。兄の安らかな天への旅立ちを願いご家族・ご親族・参列者によるお別れのお花入れ(出殿の儀式)が行われ、午後1時には火葬場に向けて出発しました。
 帰歓式、聖和式とも国家メシア、武蔵野家庭教会の方々が尽力して下さり、神霊に満たされた儀式となりました。

(文責:後藤誠一 写真:石川仁)

2024年9月10日火曜日

元老・先輩家庭特別集会の報告

 本部主催の元老先輩家庭特別集会が、9月7日(土)午前10時15分より松濤本部において、首都圏の元老先輩(43双、777双、1800双(国家メシア、役員))を中心に129名(他に本部スタッフ他14名)が集う中、天一国特別巡回師柴沼邦彦氏による司会で始まりました。

 最初に、趙誠一企画室長により準備された映像が上映されました。映像では、真のお父様聖和時、「私の生存中に必ずや天の御旨を成してさしあげます」と真のお父様に約束された内容を成就するために、先頭に立って歩んでこられた独り娘・真のお母様の12年間の足跡をたどりつつ、2025年4月13日の天苑宮天一聖殿入宮に向けて更に決意して歩まれるお母様のお姿が紹介され、参加者は更なる決意をする一時となりました。
 天一国の歌1番を全体で讃美し、その後御父母様への敬拝、家庭盟誓8番が唱和され、本年傘寿を夫婦して迎えられた倉本正彦・京子夫妻による花束が御父母様に捧げられました。
その後、43双の堀信義氏による代表報告祈祷が成されました。


 続いて、9月1日より真のお母様招集の「天苑宮天一聖殿入宮勝利」の為の大陸会長はじめ50数名参加の会議に出席しておられる田中富広会長から、急遽ビデオによるメッセージが届けられました。メッセージでは、
2025年4月13日の天苑宮天一聖殿入宮の為に、「いかにして神様を天の父母様として迎える環境圏を造るか」「天の父母様を中心とした天一国文化の創造」等、入宮に向けた内外の準備をするために関係者に清平で祈りの精誠を尽くすように願われていること等の話がありました。

 その後竹内副会長によるメッセージがあり、メッセージでは、「真のお母様の二世・三世にたいする期待の大きさと共に、地域礼拝・集会で横井家の息子さんの家を訪問すると、80歳を過ぎた横井のお母さんが先頭に立って色々手配・準備しておられる姿に感動した」こと等が紹介されました。

 竹内副会長による祝祷の後、本年、卒寿(1936年生まれ)、傘寿(1944年生まれ)、喜寿(1947年生まれ)を迎えられる元老先輩へのお祝いの品が参加者全員に手渡しされ、傘寿・喜寿の方々とは記念の写真を撮って下さいました。(傘寿の方は遠方のため会場には来ておられませんでした)。その後竹内副会長を中心に全体写真を撮って午前の部を終了しました。


 休憩の後、12時15分小山田秀生元老牧会者会会長による勝利提議(乾杯)により本部で準備していただいた美味しい昼食をいただきながら、懐かしい同志との交流のひとときを持ちました。昼食の終わりには、3月に聖和されました大脇準一郎兄の夫人栄子さんによる御礼の言葉と参加者へのプレゼントのお菓子が配られました。続いて9月4日から6日まで訪韓されました岡本泉氏による熱い報告がありました。
 その後、HJマグノリア財団企業により提供されました品物の抽選会を行い、午後1時より午後の部に入りました。
 「愛郷歌」で、心を整えたのち、入山聖基教育局長による講話がありました。真のお母様とひ孫様とのご様子を紹介されながら、準備されたパワーポイントにより「次世代教会を造るために・・・天一国時代の教会文化改革」とのタイトルの下、天一国時代の摂理観を真のお父様、真のお母様のみ言を紹介されながら、トウ減時代から三大祝福の完成時代となっている今、私から周辺に幸せを広げ、祝福家庭の氏族化・地域化の充実により如何に天の父母様を証していくか等々、祝福家庭として取り組むべき内容が紹介されました。

 その後、能登から駆けつけられた久井茉莉子さんによる歌「いのちの歌」と「川の流れのように」が、披露され、しみじみとその歌に心を寄せる一時となりました。

 そののち、再び抽選会を行い多くの皆さんが恵みを受けることとなりました。
その後、松波孝幸氏による億万歳を全体で四唱し、午後2時半幕を閉じました。田中会長・趙誠一室長、本部の皆様への感謝の心を抱きつつ、マグノリア財団の企業の皆さんからのプレゼントを手にしながら、別れを惜しみつつまた次回の再開を約し帰途につきました。

 今回の行事は本部主催のため、本部スタッフの皆さんには大変お世話になりました。またお手伝いをして下さいました関係者の皆様に感謝申し上げます。

以上

1800双祝福家庭マルタ国家メシヤ 飯山和子姉 天寶帰歓式と天寶聖和式の報告

 さる2024年9月2日午前、マルタ共和国国家メシヤで1800双祝福家庭の飯山和子さんが聖和されました。享年75歳でした。3年前から肝臓がんを患われ、手術を受けられ成功、その後今年春、がん転移の発見を受けて、闘病生活をされておられました
 飯山和子さんは、1949年5月2日、愛知県半田市に誕生。県立高校卒業後、会社勤めをされている時、世界平和統一家庭連合(当時統一教会)に導かれ、一年後に教会活動に専念されるようになりました。特筆すべきは、水俣病の地元、熊本県で開拓伝道され、会員4人を導き熊本教会を設立。1975年、飯山善弘さんと1800双祝福結婚を受けられ、ご主人の諸活動を支えられ、学生グループや青年グループの信仰・生活などの指導に尽くされました。ご主人との間に一男3女を恵まれました。

●天寶帰歓式
 2024年9月7日(土)午後6時から、世田谷区のみどり会館で、渋谷家庭教会の渡邊一喜大教会長の主礼、仲程朝秀副協会長の司会による「天寶帰歓式」が執り行われました。

 式は飯山和子さんの略歴と映像の紹介、43双の井上恭子さんの報告祈祷の後、渡邊大教会長の「帰歓の辞」が行われました。
 その中で、渡邊大教会長は、人の死についての教会の基本的な教えを語られた上で、和子さんが聖和される3日前に、和子さんを見舞われたことを明かされました。その際、和子さんとご家族のために祈祷されると、和子さんは「ありがとうございました」と語り、手を差し伸べられました。大教会長はその手を取り「お元気になってください」と声を掛けると、和子さんは明るい笑顔で「ありがとう」と言われ、ひと際力強く大教会長の手を握られ、「温かい手ですね」と和子さんが声を返されたそうです。
 この一コマの出会いについて大教会長は、旧約聖書のイザヤ書の聖句、「見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ」を引用。手にはその人の人生のすべてが刻まれています。和子さんの掌(てのひら)も同様です。そして、私たち一人一人のさまざまな歩みは天の父母様のたなごころに刻み込まれているのです。「私が和子さんの掌の奥に、天の父母様が私を記憶してくださり、私を励ましてくださっているのだと感じました」と語られました。

 「証し」には1800双で、和子さんの友人である渡部すみ子さんが立たれた。渡部さんは和子さんのことをご主人に尽くされて人と語り、「主人を5年前に亡くしていますが、和子さんが善弘さんに尽くす姿をみて、私もあの方のように夫に尽くせばよかった」と振り返っていました。
 さらに今年春、小山田秀生先生の指導により35人の信仰仲間の清平ツアーが実施されました。和子さんも参加。同伴した渡部さんの心配事はツアー中、和子さん健康。しかし、「病気を患っていると皆さんには一言も言わず、元気に振舞っておられました」と明かされ、ツアー最終日、和子さんはツアーのリーダーであったので、私の肩を揉んであげるというではありませんか。病苦と闘っている和子さんに健康な私の肩を揉ませることなどできません。それを見ていた小山田先生は、「和子さんの思うようにさせてあげなさい」と言われたので、和子さんに肩を預けました。「私は肩がほぐれると同時に、涙をこらえるしかありませんでした」と語り、「和子さんは私の尊敬する友人です。大好きな人です」と「証し」を締めくくられました。
 献花と主礼の祈祷の後、「遺族代表挨拶」として、飯山善弘さんが立たれ、3年前からの闘病の経緯を紹介しつつ、「妻、和子の人生は、ただただ私と家族に尽くした人生でした。私も子供たちも感謝以外ありません。ここ数カ月は、妻は思い残すことがないようにすべてをやりきった歩みであったと思います。最後、今後の私の仕事のためと言って、妻が呼びかけてくれて、家族が私に背広をプレゼントしてくれました。背広を購入するのを見届けるように妻は聖和したのでした。妻は最後まで私に尽くしてくれました」と語ると、参列者は涙を誘われていました。
 この日の参列者は100人。数回に分けて記念撮影を行い、「帰歓式」を終了しました。





●天寶聖和式
 前日の「天寶帰歓式」に続き、みどり会館で、2024年9月8日(日)午前11時から「天寶聖和式」が行われました。主礼は元老牧会者会の小山田秀生会長、司会は昨日同様、仲程朝秀さん。
 式は飯山和子さんの略歴と映像の紹介、友人の大野眞典さんの報告祈祷の後、小山田会長の「聖和の辞」が行われました。小山田会長は、人には「胎中」「地上界」「霊界」の三つの世界を生きるのです、と話され、私たちに人生のありようを説かれました。そして飯山家との40年もの親しい関係から、飯山夫婦の隅々まで承知されているため、薩摩隼人の善弘さんの長所も短所も指摘、和子さんについても青春時代から人生のありようを考え、入信以後は天の父母様のために献身的な歩みをしてこられ、夫と子どもたちにも尽くされてきました、と話されました。
 さらに、残った善弘さんに「和子さんがいなくなっても、君には三つの仕事が残っている。それは、①神氏族メシヤとして地域復帰 ②中華圏の復帰 ③マルタ国家メシヤとして世界的宗教圏の復帰である、と述べられました。「今日、蕩減復帰の時代から、天一国時代、完成時代に入ったので、心して歩んで行きたい」と締めくくられました。

「送辞」には長年の友人であった鈴木徳子さんと娘さんの飯山円理の二人が、飯山和子を偲んで、思いを語られました。
 鈴木さんは、和子さんのこれまでの仕事を継承することになり、和子さんの如くできるわけがないとして固辞していたが、和子さんの「皆さんと心を一つにすることが大切だ」という秘訣を教わり、意を喫して引き受けたということでした。今では、「お任せくださいという心境に立っています。すべてお姉さんのお陰です」述べられました。

 円理さんは、数日前に書かれた「ママへの手紙」を披露。「お母さんの愛は、お父さんにも、私たちにも伝わっていますよ。ただただ感謝です。私も一時病気になった時、私は、闘うお母さんが快癒に向かうのなら、私はどんな苦労をもしますと祈っていました。お母さんは私のために同様の祈りをしておられ、お母さんが逝かれることになりました。お母さんによって私が助かったのだと思うと、感謝しかありません」と証しされました。
 最後に、遺族代表として立たれた飯山善弘さんは、「妻は信仰を確固とした経験があって、それは伊勢湾台風が愛知県を襲った時、小学生でした。学友たちを大勢亡くしたのを目の当たりにした時、人の死とはどのようなものか真剣に考えるようになった。その答えを教会の教えに見出したと言っていました」と語られました。結びとして「妻は母親の如く私に尽くしてくれた。子供や孫にもその如く母として尽くしてくれた。感謝しかありません」と述べられました。
 この日、参列者は150人で、皆さんの祈りの中、斎場を後にされ、永遠の世界に旅立たれました。
(文責・和田賢一)



(写真:石川 仁)