7 月 2 日午前 6 時 50 分に病気のため 88 歳で聖和されました阿部正壽兄の本部帰歓式が、7 月 6 日午
後 6 時より杉並家庭教会において南東京エリア渡邉一喜大教会長司会の下行われました。
祭壇中央に兄の遺影と棺、真のご父母様からの揮毫が、また左右には天務院副院長鄭元周さん、田中
会長、ご親族他多数の供花が飾られていました。
式には猛暑にもかかわらず 150 人近くの兄弟姉妹食口
が参席され、兄を偲ぶ一時となりました。
式は、黙祷の後、略歴が紹介されました。
1937 年 5 月 2 日に福岡県で誕生。阿部兄の父上は浄土真宗の住職でした。九州大学を卒業し京都大学
大学院時代の 1964 年に京都で導かれ、1969 年に 43 双の祝福を条谷千鶴子さんと受けられ、一男一女
に恵まれ、孫二人、ひ孫一人がおられます。
1969 年には勝共連合の事務総長に就任し、70 年のワクル
大会のために尽力。その後金沢の地区長、本部広報部長をへて、世界日報の創刊に尽力され、編集局
長・副社長を歴任。1978 年 IOWC 総裁に就任しその後 IOWC 総裁として渡英。英国協会長、ヨーロッパリ
ージョナルリーダーに就任。この間英国政府と裁判闘争をし、政府に告訴を取り下げさせました。1993 年
還故郷で日本に帰られ、1996 年にはイスラエルの国家メシアを拝命。現地にて活動、その間エルサレム
宣言、イエス様戴冠式等に尽力されました。帰国後は、世界総合戦略研究所を立ち上げ活動しておられ
ました。天寶家庭にもなっておられます。7 月 2 日聖和されました。享年 88 歳でした。
その後、懐かしい映像が紹介されました。
報告祈祷は、阿部公子さんが、「頭脳明晰で、天の父母様、真の父母様の願いを知って実現のために努
力された方であり、天が必要とされた方であった」と祈られ、5 年前の千鶴子夫人聖和時の阿部兄の言動
「ママありがとう、待っててね」と涙ながらに語る阿部兄の姿を偲んでおられました。
天聖経 736 ページの「霊人の生活」のみ言葉が訓読され、信仰の親であり 43 双の堀信義さんによる帰歓
の辞がありました。「1964 年夏の開拓で京都に行き、開拓期間 40 日が過ぎた後、教会設立に尽力し、1
週間断食をしつつ学生伝道のため大学構内の図書館の前で路傍演説をしていると、阿部兄が出てきて
声をかけてきた。後日教会に来られ、京都の教会長として就任していた梅本さんから原理講義を受講。堀
さんは戸田修練所スタッフとして人事後の 65 年 1 月 21 期の特別修練会に阿部さんが参加。阿部さんを
見た美植ママが「見所のある青年」として評価。修練生代表として決意表明をし、献身。略歴で紹介された
路程を歩まれ、神が願う日本とするため啓蒙運動をしてこられた。
肉体の制約から解放された今、天上か
らの活躍をお祈りいたします。」
その後、阿部兄が金沢地区長時代に学生として教会に来ていた大塚克己氏から、金沢時代の思い出や
イギリスでの阿部兄の言葉「昔のエバ国(イギリスの人々)の恨みを説く使命が日本人にはある」が紹介
されました。
続いて、43 双の横井捷子さんから「まっすぐな人、阿部夫妻だったから出来たことが多くあり、UC の歴史
に残るお二人である」との言葉と共に、文化部時代の懐かしい横井夫妻と阿部兄の写真が紹介された。
続いてイスラエル UPF 議長の Hot Ben Zvi 氏がイスラエルから駆けつけ、イスラエルでの懐かしい多く
の思い出が語られると共に「愛あふれるご夫妻、ご夫妻の心情を相続し、摂理を進めてゆきたい」との決
意が述べられました。 その後参列者 150 名ほどによる、兄への感謝と天上でのご夫妻の活躍を祈りながらの献花がなされまし
た。
最後に遺族を代表して、長女の養子さんから涙の挨拶・感謝の言葉が述べられました。
「12 年間透析の生活であったこと、2020 年母(千鶴子さん)が聖和したとき、泣き続け卒倒した父でしたが、その後は、母の監視の目から解き放たれたかのように、自由奔放に生き抜いた父でありました」と、涙あ
り笑いありの挨拶でした。
式終了後は、写真撮影、拝顔、兄を偲んでの祈りの一時をもって終了しました。
式終了後は、写真撮影、拝顔、兄を偲んでの祈りの一時をもって終了しました。
全体写真
中東・イスラエル関係者
777双・国家メシヤ
本部・機関関係者
43双
ご遺族
(文責:後藤、写真は石川仁氏提供)
7月7日は、午前10時から杉並家庭教会で聖和式が行われました。司会は昨日と同じく南東京リージョンの渡邉大教会長、代表報告祈祷は古田元男さん、聖和の辞は家庭連合会長の田中会長が務めて下さり、送辞は柴沼邦彦さんがされました。
聖和式後の12時、尾瀬に向けて出棺され、千鶴子夫人が眠られる尾瀬霊園の墓地に埋葬されました。
以下イギリスで3年、み旨をともに歩まれた柴沼天一国巡回師の送辞になります
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阿部先輩、27歳で導かれ、32歳で真の父母様から母の国の先祖、12双として選ばれ、天から与えられた天稟を持って、使命を全うした人生でしたね。天と日本を愛し、生涯を貫いた阿部先輩!! 88年の地上での歩み、ご苦労様でした。鋭敏な霊性、世の人とも相対できる知性、そして恐れることのない行動力を持って、摂理を牽引して来られました。
国際勝共連合発足、世界日報の出発と尽力され、阿部先生の絶対信仰が救国の道を拓いて行かれました。その後、母の国の世界的使命を抱かれ、イギリス、イスラエルにおいての歴史的使命をなし、霊的勝利を成し遂げられました。
イギリスの責任者であった時、1983年から3年間、私はともに歩む機会を与えられました。本来母の国であったイギリスに、新たに母の国となった日本の責任者が赴任するには大きな霊的、心情的闘いがありましたが阿部夫妻は見事に信仰と愛をもって勝利して行かれました。
英国の兄弟を天の愛で愛し、み言で導いて行かれ、そして当時、政府から法人解散の要求を突き付けられ国家的迫害の中にありましたが、イギリスの兄弟たちを鼓舞し、法的闘いだけでなく、徹夜祈祷、断食などの条件を自ら先頭に立って立て、その内外の精誠により、解散請求の国家的迫害を乗り越え、全面的な勝利を収めました。
真の父母を迎えることの出来なかったキリスト教の蕩減を内外ともに果たしました。その後、病気を患い、日本に帰った後、1996年国家メシアとして引いた籤が、ユダヤ教の中心国家、イスラエルであったことは驚くべき天の配剤でした。ユダヤ教が2000年前、イエス様を受け入れず、十字架につけたことを蕩減するためでした。イスラエルの地においてユダヤ教、イスラム教、キリスト教を一つにする霊的条件を立て、イエス様の十字架の恨みを晴らすための儀式、十字架を教会から降ろし、イスラエルの地に埋める歴史的勝利をなし、イエス様の戴冠式まで行い真の父母様が大変喜ばれました。阿部ご夫妻が勝利を築く為、何よりも大事にされたのが内的な基台であり、その基台の上で外的な勝利の道を拓いて来られました。
その後、日本に帰国し、祖国日本が天から離れ、滅びゆく状況を憂え、不可能とも思える環境をもろともせず、内外の信奉者とともに愛国の運動を透析を行う病身の身でありながら身を粉にして歩んで来られました。特に安倍総理が下野している時、日本の為、再度、総理になって貰おうと内外の条件を立て、安倍総理、再登板の基台を作られました。
すべて、天を愛し、日本を思う憂国の心が誰もが不可能と思う状況も突破して来られた奇跡の生涯でした。阿部先生、88年の御生涯は天も日本も決して忘れることなく、歴史に語り継がれることでしょう。真の父母様から受けた揮毫の下、本部葬としてお送りできること心から心から嬉しく思っています。ご苦労様でした、阿部先生が残した足跡を慕い、残された我々が相続して行きます。日本が危機的状況にある時、我々も命がけで、母の国の位相を必ず守ります。霊界から協助をお願いします。霊界では最愛の夫人と会われますね。言い尽くせない感謝を捧げ、私の送辞と致します。