2025年7月18日金曜日

777双、スペイン国家メシヤ 上山貞和兄の帰歓式、聖和式の報告

 7月14日に聖和され、7月16日に帰歓式、7月17日聖和式が鹿児島の玉泉院中央会館で行われましたが、式に参席されました都惠子さんからの報告が届いていますので送ります。

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1)上山貞和兄の帰還式、聖和式に寄せて
今回柴沼先生、中田理事長のご尽力によって素晴らしい式典を挙行していただき,改めて国家メシアの精誠の姿勢に感謝致します。
鹿児島では上山先生の歩まれた足跡は、ほとんど知らない方が多い中、帰歓式の辞では、主礼を務めて下さいました柴沼巡回師が見事な証をしていただきました。勝利したノアじいさんを思い起こしてくださりユーモアたっぷりの笑いの渦の中にもレダの過酷さも証してくださり盛り上がりました。

2)聖和式
主礼は鹿児島家庭教会 細川裕幸副教会長
司会両日とも、鴨野元一氏
代表祈祷は777双、吉井淳子姉(山口県在住で上山モトエさんの大学時代の同級生)からは、
当日夢にお母様が出てこられたこと、今の姿で水の中で何度も何度もパクーをいっぱい掬い上げている上山兄の姿を夢で見たこと等、たんたんと上山兄に対する涙を誘う祈りがありました。
また、わざわざ東京から駆けつけてくださいました中田理事長の送辞は、熱い心情が注がれ更に盛り上がり、すすり涙で盛り上がって素晴らしい聖和式となりました。
出殿の儀式の時,兄弟がそばに来て、御父母様が来られてます。お父様は背広姿で、お母様は白の正装でたたれお父様が、我が子が旅立つ日であると話されたそうです。
鹿児島はフランシスコ・ザビエルの宣教の出発の地、多くの義人を生み出した地から南米レダの過酷の地、日本を代表して歩まれた上山先生の20数年のお顔のしわ、お父様に代わって歩まれた姿を拝見した時、お見送りする間涙が止まりませんでした。
式典を通して多くの方に復興と感動を与えた日々だったと思います。ありがとうございました。








2025年7月8日火曜日

43 双、イスラエル国家メシア、阿部正壽兄の本部帰歓式・聖和式の報告


 
7 月 2 日午前 6 時 50 分に病気のため 88 歳で聖和されました阿部正壽兄の本部帰歓式が、7 月 6 日午 後 6 時より杉並家庭教会において南東京エリア渡邉一喜大教会長司会の下行われました。 祭壇中央に兄の遺影と棺、真のご父母様からの揮毫が、また左右には天務院副院長鄭元周さん、田中 会長、ご親族他多数の供花が飾られていました。

 式には猛暑にもかかわらず 150 人近くの兄弟姉妹食口 が参席され、兄を偲ぶ一時となりました。 式は、黙祷の後、略歴が紹介されました。 1937 年 5 月 2 日に福岡県で誕生。阿部兄の父上は浄土真宗の住職でした。九州大学を卒業し京都大学 大学院時代の 1964 年に京都で導かれ、1969 年に 43 双の祝福を条谷千鶴子さんと受けられ、一男一女 に恵まれ、孫二人、ひ孫一人がおられます。
 1969 年には勝共連合の事務総長に就任し、70 年のワクル 大会のために尽力。その後金沢の地区長、本部広報部長をへて、世界日報の創刊に尽力され、編集局 長・副社長を歴任。1978 年 IOWC 総裁に就任しその後 IOWC 総裁として渡英。英国協会長、ヨーロッパリ ージョナルリーダーに就任。この間英国政府と裁判闘争をし、政府に告訴を取り下げさせました。1993 年 還故郷で日本に帰られ、1996 年にはイスラエルの国家メシアを拝命。現地にて活動、その間エルサレム 宣言、イエス様戴冠式等に尽力されました。帰国後は、世界総合戦略研究所を立ち上げ活動しておられ ました。天寶家庭にもなっておられます。7 月 2 日聖和されました。享年 88 歳でした。 その後、懐かしい映像が紹介されました。 
 報告祈祷は、阿部公子さんが、「頭脳明晰で、天の父母様、真の父母様の願いを知って実現のために努 力された方であり、天が必要とされた方であった」と祈られ、5 年前の千鶴子夫人聖和時の阿部兄の言動 「ママありがとう、待っててね」と涙ながらに語る阿部兄の姿を偲んでおられました。
天聖経 736 ページの「霊人の生活」のみ言葉が訓読され、信仰の親であり 43 双の堀信義さんによる帰歓 の辞がありました。「1964 年夏の開拓で京都に行き、開拓期間 40 日が過ぎた後、教会設立に尽力し、1 週間断食をしつつ学生伝道のため大学構内の図書館の前で路傍演説をしていると、阿部兄が出てきて 声をかけてきた。後日教会に来られ、京都の教会長として就任していた梅本さんから原理講義を受講。堀 さんは戸田修練所スタッフとして人事後の 65 年 1 月 21 期の特別修練会に阿部さんが参加。阿部さんを 見た美植ママが「見所のある青年」として評価。修練生代表として決意表明をし、献身。略歴で紹介された 路程を歩まれ、神が願う日本とするため啓蒙運動をしてこられた。

 肉体の制約から解放された今、天上か らの活躍をお祈りいたします。」 その後、阿部兄が金沢地区長時代に学生として教会に来ていた大塚克己氏から、金沢時代の思い出や イギリスでの阿部兄の言葉「昔のエバ国(イギリスの人々)の恨みを説く使命が日本人にはある」が紹介 されました。 続いて、43 双の横井捷子さんから「まっすぐな人、阿部夫妻だったから出来たことが多くあり、UC の歴史 に残るお二人である」との言葉と共に、文化部時代の懐かしい横井夫妻と阿部兄の写真が紹介された。

  
続いてイスラエル UPF 議長の Hot Ben Zvi 氏がイスラエルから駆けつけ、イスラエルでの懐かしい多く の思い出が語られると共に「愛あふれるご夫妻、ご夫妻の心情を相続し、摂理を進めてゆきたい」との決 意が述べられました。 

 その後参列者 150 名ほどによる、兄への感謝と天上でのご夫妻の活躍を祈りながらの献花がなされまし た。 最後に遺族を代表して、長女の養子さんから涙の挨拶・感謝の言葉が述べられました。 「12 年間透析の生活であったこと、2020 年母(千鶴子さん)が聖和したとき、泣き続け卒倒した父でしたが、その後は、母の監視の目から解き放たれたかのように、自由奔放に生き抜いた父でありました」と、涙あ り笑いありの挨拶でした。 
 式終了後は、写真撮影、拝顔、兄を偲んでの祈りの一時をもって終了しました。
式終了後は、写真撮影、拝顔、兄を偲んでの祈りの一時をもって終了しました。



全体写真

中東・イスラエル関係者

777双・国家メシヤ

本部・機関関係者

43双

ご遺族
(文責:後藤、写真は石川仁氏提供)

 
 
 7月7日は、午前10時から杉並家庭教会で聖和式が行われました。司会は昨日と同じく南東京リージョンの渡邉大教会長、代表報告祈祷は古田元男さん、聖和の辞は家庭連合会長の田中会長が務めて下さり、送辞は柴沼邦彦さんがされました。
 聖和式後の12時、尾瀬に向けて出棺され、千鶴子夫人が眠られる尾瀬霊園の墓地に埋葬されました。
 以下イギリスで3年、み旨をともに歩まれた柴沼天一国巡回師の送辞になります

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 阿部先輩、27歳で導かれ、32歳で真の父母様から母の国の先祖、12双として選ばれ、天から与えられた天稟を持って、使命を全うした人生でしたね。天と日本を愛し、生涯を貫いた阿部先輩!! 88年の地上での歩み、ご苦労様でした。鋭敏な霊性、世の人とも相対できる知性、そして恐れることのない行動力を持って、摂理を牽引して来られました。
 国際勝共連合発足、世界日報の出発と尽力され、阿部先生の絶対信仰が救国の道を拓いて行かれました。その後、母の国の世界的使命を抱かれ、イギリス、イスラエルにおいての歴史的使命をなし、霊的勝利を成し遂げられました。
イギリスの責任者であった時、1983年から3年間、私はともに歩む機会を与えられました。本来母の国であったイギリスに、新たに母の国となった日本の責任者が赴任するには大きな霊的、心情的闘いがありましたが阿部夫妻は見事に信仰と愛をもって勝利して行かれました。
 英国の兄弟を天の愛で愛し、み言で導いて行かれ、そして当時、政府から法人解散の要求を突き付けられ国家的迫害の中にありましたが、イギリスの兄弟たちを鼓舞し、法的闘いだけでなく、徹夜祈祷、断食などの条件を自ら先頭に立って立て、その内外の精誠により、解散請求の国家的迫害を乗り越え、全面的な勝利を収めました。
 真の父母を迎えることの出来なかったキリスト教の蕩減を内外ともに果たしました。その後、病気を患い、日本に帰った後、1996年国家メシアとして引いた籤が、ユダヤ教の中心国家、イスラエルであったことは驚くべき天の配剤でした。ユダヤ教が2000年前、イエス様を受け入れず、十字架につけたことを蕩減するためでした。イスラエルの地においてユダヤ教、イスラム教、キリスト教を一つにする霊的条件を立て、イエス様の十字架の恨みを晴らすための儀式、十字架を教会から降ろし、イスラエルの地に埋める歴史的勝利をなし、イエス様の戴冠式まで行い真の父母様が大変喜ばれました。阿部ご夫妻が勝利を築く為、何よりも大事にされたのが内的な基台であり、その基台の上で外的な勝利の道を拓いて来られました。
その後、日本に帰国し、祖国日本が天から離れ、滅びゆく状況を憂え、不可能とも思える環境をもろともせず、内外の信奉者とともに愛国の運動を透析を行う病身の身でありながら身を粉にして歩んで来られました。特に安倍総理が下野している時、日本の為、再度、総理になって貰おうと内外の条件を立て、安倍総理、再登板の基台を作られました。
 すべて、天を愛し、日本を思う憂国の心が誰もが不可能と思う状況も突破して来られた奇跡の生涯でした。阿部先生、88年の御生涯は天も日本も決して忘れることなく、歴史に語り継がれることでしょう。真の父母様から受けた揮毫の下、本部葬としてお送りできること心から心から嬉しく思っています。ご苦労様でした、阿部先生が残した足跡を慕い、残された我々が相続して行きます。日本が危機的状況にある時、我々も命がけで、母の国の位相を必ず守ります。霊界から協助をお願いします。霊界では最愛の夫人と会われますね。言い尽くせない感謝を捧げ、私の送辞と致します。










2025年6月25日水曜日

1800双家庭・アラブ首長国連邦国家メシヤ及びナショナル・リーダー・大場良一兄 帰還式及び聖和式の報告です







ヨーロッパ・中東 UPF 事務局長, シリア国家メシア                                   デイビット&けいこ フレイザーハリス 様からの証し

若い宣教師だった頃の大場氏を私は知りませんが、私が聞いた証しから、1970年代に真の父母様によって設立されたIRFFがスーダンでこれほどまでに敬意をもって扱われている理由には、大場氏のスーダンの人々に対する思いやりの心にあったと言えるでしょう。彼が中東の人々にもたらしたのも、まさにこの同じ心情であり、そして他者の必要に対する感受性であったと確信しています。スーダンの人々に対する彼の機知に富んだ献身的な奉仕については、他の人達が私以上に語ることができるでしょう。私が言えることは、大場氏を通して神様が私に、兄からしか得られない愛と励ましを与えてくださったということです。

私が大場氏の支えを最も強く感じたのは、UPFの初期のワールドツアーの時でした。2005年11月17日、真のお父様は二日後に予定されていたアンマンでの講演をキャンセルしなければなりませんでした。そして、真のお父様がその日にデンマークのコペンハーゲンで講演されるという知らせを聞きました。翌日の私の日記には、「重い。とても重い」と記されています。しかし、その僅かな言葉の後にはこう記されています。「会合。聖霊。ハガル、イシマエル」。大場氏が、イシマエルの子孫がイサクの子孫のために犠牲を払うよう求められているという洞察を示された時、沈んだ雰囲気がどのように変化したかを、私は鮮明に覚えています。この新たな理解によって力づけられ、私たちは世界ツアーイベントを勝利に導くための新たな力を得ました。

7ヶ月後、真のお母様がアンマンで講演をされました。多くの準備は私が担当していましたが、大場氏は私が助けを必要としていることを理解されていました。物静かで思いやりのある兄として、彼はいつも私のそばにいて、助けてくれました。UPF事務局長である私を、大場氏は尊敬される指導者として扱ってくださいました。でも、私はいつでも信頼でき、頼れる兄がいることを常に知っていました。

大場さん、あなたは偉大な遺産を、あなたの家族に、そしてあなたが関わったすべての国々に残してくださいました。ほんの数ヶ月前、あなたはアブラハムチルドレンのプロジェクトのために集めた資金を私に託し、私はそれを必ず成功させると約束しました。私はそうします。そして、より多くの人々が平和への道を見いだす中で、あなたの精神と遺産は生き続けるでしょう。                        
ありがとうございました。


大場兄弟の帰還式に参加して 
昨日は山形で大場兄弟の帰還式に参加して来ました。彼は1975年、1800双の祝福を受けた直後から、イスラム教の国、スーダンで17年間開拓し、霊の子を作り、大統領とも会い、その基盤の上で1992年にニューヨークで行われたイスラム教徒を招いての40日原理研修会にスーダンからイスラムの指導者が30数人参加しました。参加者は元大統領夫妻を団長に将軍、スーダン最大のモスクの責任者、大学教授等のそうそうたるメンバーで、大場氏のスーダンという厳しい環境の中で歩み続けた精誠の証しでした。
その後、ソビエト連邦解放後の旧ソ連邦のイスラム国を開拓し、1996年、アラブ首長国連邦の国家メシアとしてイスラムの人々の救いの為、尽力を尽くし、日本に帰国後も中東の復帰の為、内外の援助を惜しむことがなく、イスラム教の復帰の為、歩んで来た大場兄弟でした。真のお母様から揮毫を頂き、昨日の帰還式にはヨーロッパ大陸会長、副会長、そして中東の会長から、田中会長、中田南北米理事長の花輪とともに花輪が飾られ、メッセージも届いておりました。
 中東情勢の困難な中、霊界から真のお父様とともに平和的解決の道を探り、働かれるのではないかと感じ、帰還式に参加させていただきました。 
帰還式は2世の鈴木大教会長の主礼で、山形教会の多くの食口が参加する中で行われました。病気はすい臓がんであったそうです。

2025年6月23日 柴沼記
 





2025年3月4日火曜日

中田理事長からのメッセージです

関係者の皆様へ
2025年も早2か月が過ぎ去りました。
暖かい春の日差しが降り注ぐ先週末でしたが、一転東京にも雪が降る寒さに震える
日々となっています。寒暖の激しい日々、くれぐれもお大事に、ご自愛ください。
去る2月24日レダ開拓26周年新春特別集会を開催いたしました。
詳細は別途お送りいたしますが、総参加者数は202名でした。国家メシヤ(73名)2世圏22名、子女をレダに送り出してくださった父母17名、他支援者・協力者の方々が寒い中お集まりくださいました。今は大転換期、天の摂理が大きく進展している時、合わすべき焦点は真のお母様であると、思いを新たに、決意を新たに再出発するひと時となりました。
藤生事務局長がレダの現状や活動報告をよくまとめて下さいました。先輩家庭や2世家庭のインタビューはじめ、実質運営委員長として、様々な準備をまとめて下さいました。司会は新理事原田さんが午前午後共に担当、相続と発展を実感する、新たな時代の出発を実感するにふさわしいひと時となりました。





今年はレダにおいて、新しい家族、そして新たな移住者を迎えます。希望溢れる年であると同時に、新たな時代の生みの苦しみの時でもあります。この峠を越えるには、若い力や発想が不可欠です。峠を越える為に、様々な変化が起こってきますが、どうかご理解下さり、サポートよろしくお願いいたします。定着そして自立に向けて、奮戦中ですが、毎月の今までの支援もまだまだ不可欠です。新しい支援の在り方も生まれてきていますが、この1年は総力戦と考えています。ご理解、ご協力、ご支援よろしくお願いいたします。
 なおパク養殖生産販売事業(ホールセール事業含め)、ソーセージ食品加工生産販売事業等に関心がある方、新しい時代を切り開く開拓者に関心ある青年壮年の皆様、お待ちしています。ご案内よろしくお願いいたします。

今月の予定:
出発者:滝川ジェシカさんのお母さん=3月9日、成田12時10分
帰国者:岩澤春比古園長=3月19日、羽田16時50分(4月13日参加)
月例:3月22日(土)10:30~、調布CHにて
拡大会議:3月8日(土)9:30~ 
役員会:3月29日(土)20:00~

2025年3月5日     中田欣宏

追伸)
森川道子理事が骨折で入院・リハビリ中です。1日も早い回復をお祈りよろしくお願いいたします。又お見舞いは下記口座によろしくお願いいたします。    
森川道子 郵貯 10060 18230971

2025年2月4日火曜日

777 双祝福家庭フィンランド国家メシヤ 林善一郎兄の帰歓式および聖和式の報告です

 去る1月29日に聖和されました林善一郎兄の帰歓式は2025年2月2日(天一国13年天歴1月5日)午後6時より、翌2月3日(天歴1月6日午前11時から聖和式が、宮澤圭輔教会長を主礼として福井エリア越前家庭教会にて執り行われました。
越前家庭教会は林善一郎ご夫妻が長年自宅を家庭教会として多くの食口のための礼拝、牧会を続けられた基盤の上に発展してできた教会のため、帰歓式、および聖和式は林善一郎兄を兄と慕い、父と慕う食口で礼拝堂はいっぱいとなり、入りきれない食口は2階に設けられた広いモニタールームで式に参加しました。
帰歓式ではアメリカ開拓第一陣の泉川哲昭兄のメッセージをMFTで苦楽を共にした倉敷市在住の安田孝幸兄が代読し、聖和式では同じく第一陣の越谷市在住の西希悦兄が送辞を読み上げました。
その要点をまとめると以下のような内容が実際のエピソードを交えて語られました:
林善一郎様、あなたの突然の旅立ちが信じられません。
昨年9月、久しぶりに再会したあなたは(泉川ご夫妻、安田、西は林兄の霊の親である北中兄と共に昨年9月7日に林家を訪れ、数時間の歓談の場を持った)、昔と変わらず優しく笑顔で接してくれました。私たちがアメリカ宣教に旅立った1972年、あなたの明るく分け隔てのない人柄が、仲間の絆を深めました。ニューヨークでの伝道では、驚くべき体験を笑顔で語ってくれました。
経済復帰の競争でも見事な成果を収め、MFTのコマンダーとして多くのアメリカ人を愛し育てました。時に厳しく叱りながらも、あなたの温かい心は皆に伝わっていました。
霊界には先に旅立った仲間が迎えてくれるでしょう。地上に残るご家族は私たちが支えますので、安心して向こうでの使命を果たしてください。
「善ちゃん」、本当にお疲れ様でした。ありがとう。
施主は林伸子夫人と、知らせを聞いて翌日急遽アメリカのカリフォルニア州サンジェゴから帰国されたご子息の建元様が共同で執り行われ、建元様が遺族代表挨拶として、参加者への感謝を述べた後、「健康を回復してもう一度アメリカに戻り、御父母様がアメリカにかけた望みを成就したいという父の願いは、自分が相続してアメリカで父に代わって成就します」という決意を述べられて帰歓式および聖和式が締めくくられました。

(*上記レポートは、第一陣で共に渡米され、聖和式で送辞を述べられた西希悦さんがしてくださいました)


帰歓式の写真(2025年2月2日)、越前家庭教会




出棺前の祈祷をする宮澤教会長

遺族代表で挨拶する子息の建元さん

ご遺族(中央が伸子夫人と子息の建元さん)
写真提供:メモリアル聖苑