日本の皆様のお祈り、ご協力を心より感謝いたします。引き続き日本の勝利の為にイタリアからお祈りを捧げます。
息子さんのやそき君から聖和式は4月10日16時20分に無事終わりました。人数制限があったにもかかわらず、制限を超える人も参加できるなど、式全体の雰囲気も、気高く美しく神霊に満ちたセレモニーでした。というコメントがありました
息子さんのやそき君から聖和式は4月10日16時20分に無事終わりました。人数制限があったにもかかわらず、制限を超える人も参加できるなど、式全体の雰囲気も、気高く美しく神霊に満ちたセレモニーでした。というコメントがありました
< 吉田豊子さんへ >
(韓国国家メシア、日本国家メシア、元イタリア・日本人宣教師姉妹を代表して)
豊子さんは高校生の時復帰され 永遠の愛と真理の世界を知り希望に燃えて出発しました。子供の頃から身体が弱く 教会に来て様々な実践活動が厳しい時があったと聞きました。しかし決して「苦しい」とか「辛い」など弱音を吐かず感謝して歩みました。「それはみ言と天の父母様、真の父母様に出会えた喜びと感謝が苦痛よりはるかに大きかったから」と 豊子さんは語っていました。
1975年吉田忠夫さんと1800双の祝福を受けたあと 1978年古田会長からイタリアへのミッションを受け ご夫婦で今日まで40数年間ひたすらイタリアを愛し投入して来られました。この間に子女3人、お孫さんもたくさん恵まれました。
日本から突然イタリアに来て言葉も通じない、知人もいない中で、いくら天命とは言え想像を絶するご苦労だったことでしょう。
イタリアは先進国ですが 日本とは言語、文化、歴史が異なり、言うに言えない苦しく切ない世界をご夫妻は辿られた事でしょう。
ご夫妻が出会う方々に誠実にまごころ込めて築き上げられて来た年月の功労の上に 数年経って日本人・イタリア宣教師、韓国国家メシア、日本国家メシアがイタリアに送られました。伊日祝福、日伊祝福約30家庭の皆さんも全て、初めてイタリアに入った吉田ご夫妻の血と汗と涙、祈りの土台のお蔭で多大な恩恵を頂いて私達は歩んで来る事が出来ました。心から感謝しております。
豊子さんは真のお父様が考案された健康器具を心から愛し 触れ合う人々にご紹介し喜びと感謝の輪を広げていました。
腰痛膝痛で苦しんでいる私に 豊子さんは二つ持っているからと言って 私がイタリアに滞在中ズーッと貸してくださり私は大変助かりました。
韓国国家メシアの宋根植会長がイタリア全土をチャート式統一原理巡回講義をされました。ベルガモでは吉田家の長男やそきさんが祝福二世の年長で二世たちのお兄さん的立場でした。その時宋根植会長のご長男・宋元翔(ウォンサン)さんが韓国語を英語に、やそきさんが英語をイタリア語に訳して チャート講義はベルガモにおいて大勝利しました。その場にいた豊子さんは涙を流す程の喜びと感動、感謝に溢れていました。
イタリアは1996年真のお母様をお迎えしての大会があり その後摂理の勝利進展と共に イタリアと日本の女性による姉妹血縁式が開催され、ご子女様の12カ都市21カ都市大会があり豊子さんもスーツを着こなして勝利に貢献されていました。
西ヨーロッパに入国出来なかった真のお父様が 16年振りにご父母様ご一緒に入国可能となりローマ大会がようやく開催されました。その時の豊子さんの待ち続け遂に願いが叶った解放感と充実感が満ち溢れた感謝感動の表情で 私は決して忘れることが出来ません。
豊子さんの身体は頭から足まで全身生命の危機に至る重要な課題が山積みでした。ほとんどの所に医療のメスが入り コロナに感染も豊子さんの絶対信仰故に奇跡的に退院回復しました。ご主人と散歩したり料理も作れるように良くなったと言って喜んでいらっしゃいました。
豊子さんの生涯は黙々とコツコツと 自分自身のさまざまな苦痛を超えてただひたすら天の父母様真の父母様愛し慕い侍る「父母の心情 僕の体」生涯だったと思います。
豊子さん 地上で積んだ愛をもって天の父母様の懐に抱かれてください。そしてまた地上のご主人さん、お子さん達、お孫さん達をいつも共にあってお守りください。
またお会いしましょう。ありがとうございました。
阿部順子
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